蘆花恒春園のヒマワリがちょうどいい!千歳烏山・千歳船橋からバスや歩きのアクセスも紹介

花を見る散歩

2024年8月最終週の平日、台風が来る前に蘆花恒春園のひまわりを見に行きました。

千歳烏山駅から歩いて15分ほどの蘆花恒春園。
駅からは少し距離がありますが、蘆花恒春園は林の中にあるので涼しくて快適!
徳富蘆花の旧居も興味深く、ひまわりも咲いていて、夏の終わりを満喫できました。

この記事では、蘆花恒春園へのアクセスと、実際に歩いた徳富恒春園を紹介します。
これから蘆花恒春園に行く方にお勧めの記事です。

千歳烏山駅から蘆花恒春園まで歩いてみた

10時少し前に、千歳烏山駅に着きました。気温は30℃近いけれど、風もあって爽やかです。南の方に歩いていくと、スーパーのライフは開店を待つ行列が。

この通りを抜けたところに、京王バスの乗り場がありました。千歳船橋駅のバスに乗っても、蘆花恒春園の近くまで行くことができますが、この日は歩きます!

さらに南に向かう道を選んで歩いていくと、銭湯がありました。この銭湯は、増穂湯といって、「つるつるの湯」が人気みたいです。

この道は雰囲気最高。でも、遠回りになりそうなことに気づいて、バスの走る千歳通りに移動します。

千歳通りは、バス通りですが、車もそんなに多くなくて、楽しく歩くことができました。

千歳通り沿いの植木農家さん。こんもりした丸っこい植木ばかりが育っていて、かわいい感じでした。

蘆花公西の交差点で、粕谷区民センター通りと交差します。前方に見える森が、蘆花恒春園です。

立派な家やマンションの多い通りです。

蘆花恒春園 名前の由来や読み方

蘆花恒春園に着きました!千歳烏山駅から、15分くらいで着きました。

ここは、「不如帰」「自然と人生」「みみずのたはこと」」などの作品がある文豪徳冨蘆花(とくとみろか)の住居跡を中心に整備された公園です。
徳富蘆花は、明治40年に、青山からこの場所に、土に親しむ生活を求めて引っ越してきました。昭和2年で亡くなるまでの20年を、地元の人にも親しまれながら、晴耕雨読の生活をして過ごしたそうです。

ところで、蘆花恒春園の読み方は?
「ろかこうしゅんえん」です。徳冨蘆花がつけた名前だそうです。
ちなみに、「蘆の略字が芦」なので、蘆花恒春園は芦花公園とも呼ばれます。ちょっと複雑ですね。私、最近まで、この2つは別の公園だと思っていました。
京王線の芦花公園駅から蘆花恒春園までは、歩いて15分ほど。千歳烏山駅と同じくらいの距離です。

恒春園区域

正門からは、徳冨蘆花の旧居や庭、記念館などからなる「恒春園区域」というエリアになります。
恒春園区域の開園時間は、下記のようになっています。

開園時間:9:00~16:30(恒春園区域) 徳冨蘆花旧宅および蘆花記念館は16:00まで
年末年始は休業
入場料:無料

まず、蘆花記念館を見学しました。

蘆花記念館には、徳富蘆花・愛子夫妻の写真や、年表があり、夫妻の歴史がわかるようになっています。衣類や小物など身の回りの品、作品の原稿や手紙なども展示されています。

蘆花恒春園は、徳富蘆花の死後に、愛子夫人から東京市に寄贈された旧邸宅やその敷地がもとになって、武蔵野の風景を保存した公園として整備したものです。記念館に展示された品々も、寄贈されたものがもとになっています。

「徳富蘆花がこの土地に越してきたのは、トルストイに農のある暮らしをすすめられたのがきっかけだった」という文章がありました。文豪には文豪のお友達が・・・

徳冨蘆花の旧家が並んでいるエリアです。
こちらは、秋水書院です。立て札にはこんなことが。

・この建物は、徳冨蘆花が烏山の古屋を買い取り移築して立て直した。
・建物の建前は明治44年1月24日だが、大逆事件の犯人とされた幸徳秋水の死刑執行の日がこの日であった。
・徳冨蘆花は、幸徳秋水らの死刑判決を冤罪だと考えていて、兄徳冨蘇峰と総理あてに、再考を促す書類を出していた。
・明治44年春に完成した建物を、蘆花夫妻は「秋水書院」と呼んだ。

高い2本の木の下に、小さな小屋のようなものが。

お地蔵様が立っていました。
立て札には、こんなことが。

・「地蔵がほしい」と言っていたら、甲州街道の植木なぞ扱う男が、荷車に載せてきて、庭の三本松の影に南向きに据えてくれた。
・八王子、高尾の下、浅川の由緒ある農家から買ってきた六地蔵の一体だという。

面白いエピソードだなあ、と思いました。
欲しいと言っていたら、植木屋さんが買ってきてくれたお地蔵様。
お地蔵様も売ったり買ったりされて、引っ越しをすることがよくあったのでしょうか?

こちらは梅花書屋。
立て札には、「明治42年に、渋谷区の売り家を移築したもので、母屋との間は敷石を渡って往復した」と書かれています。こちらもシックな建築です。

最後に現れたのは、母屋(茅屋ぼうおく)です。この建物は、中に入ることができますが、内部の写真撮影は禁止です。

茅屋の前に、徳冨蘆花が書いた文章の看板があって面白い。
「壁は落ち放題・・屋根藁は半腐り、真剣に降ると黄色い雨が降る」と散々です。
白い看板には、最初に母屋を建て増し、その後、2つの書院を建てたことが記されています。村の人には「粕谷御殿」と呼ばれていたとも書かれています。

入場時間が決まっている恒春園ゾーンを出て、いつも開放されているエリアに入ります。

ひまわりの咲く蘆花恒春園 花の丘

木立を抜けていくと、花の丘の看板が見えてきました。

花の丘に入ってすぐのところに、小さなヒマワリ畑があって、ヒマワリが元気に咲いていました。
バックに廻沢ガスタンクが入るのも、ここのヒマワリ畑の名物みたいです。

ひまわり畑の裏側に回ると、「NPO法人 芦花公園 花の丘友の会が手入れを行っています」の看板がありました。

すぐに一周できてしまうくらいの小さなひまわり畑ですが、青空とのコントラストがいい感じです。高い塔はゴミ焼却場です。

ちなみに、2024年の蘆花恒春園ヒマワリの開花情報です。
8月10日ごろ Yahooエキスパートの記事で、「今年が開花が遅れていて、背の高いひまわりの開花はこれから」という記事がありました。
8月26日 私が散歩した日です。ちょっとだけ盛りを過ぎた印象でしたが、ひまわりは元気でした。
9月4日 蘆花恒春園のエックス(旧ツイッター)で、「花の丘のヒマワリは台風でだいぶしおれてしまったけれどがんばっています。敷地内の八幡神社横のミニヒマワリが順調に開花中」と情報がありました。

2024年のヒマワリは、8月の半ばから8月末が見ごろだったようです。

花の丘の花壇です。早春にはウメやロウバイ。春にはチューリップ。秋にはコスモスと、季節ごとに花で彩られるようです。

「芦花恒春園」バス停と粕谷延命地蔵尊

帰りは、京王バスで、小田急線の「千歳船橋」駅を目指します。
「芦花恒春園」バス停は、蘆花恒春園の正門から数分のところです。

行きに歩いてきた「粕谷区民センター通り」を「蘆花公西の交差点」近くまで戻ります。

このバス停は、三角形の敷地の中にあり、粕谷延命地蔵尊が祀られています。

上の写真の大変長文の文章を読んでみました。

・以前はこの地に地蔵尊が祀られているトタン屋根の祠があって、人々は草をかきわけて参拝していた。
・この地の脇には、品川用水が流れ、ツキトヨ橋がかかっていた。
・この地の北側には、共同小屋があり、賑わっていた。野菜の品評会、二十六人衆の寄り合い所、婦人部の踊りの稽古場、消防器具の置き場があった。
・三角形の敷地の先端には、火の見櫓があり、地域の中心であった。
文章は、この土地の所有者だった方が、平成25年に書いたものです。

この地図は、「明治に入ったころの延命不動尊」です。品川用水の横に、延命不動尊と共同小屋が建っていたのがわかります。

火の見櫓が建っていたという、三角形の先端
道路は、千歳船橋に続くバス通りです。

半月型の観光案内があって、見入ってしまいます。上祖師谷にも見どころがありそうで、行ってみたくなります。

それにしても、昔地域の中心だったこのバス停、見どころ多すぎです。
あっという間に千歳船橋行きのバスが来ました。
千歳烏山ー千歳船橋間のバスは、日中ほぼ10分間隔で出ていて、とても便利です。

できるだけ歩きたい私ですが、これだけ便利だとバスもいいな、と思います。

千歳船橋の堀口珈琲

千歳船橋駅に着いた私は、迷わず堀口珈琲へ。
有名な珈琲店で、梨のタルトをいただきました。

ケーキもおいしいし、店内も素敵、接客もやさしい、と褒めるところばかりのお店でした。

他のお客さんが食べているサンドイッチが羨ましくて、また来ようと誓いました。

まとめ

この記事では、ヒマワリが咲いている蘆花恒春園を訪ねた時の、園内の様子や、アクセスなどについて書きました。
四季折々の花が咲き、雑木林や竹林も美しい蘆花恒春園。どの季節に出かけても楽しめそうです。
天候の良い時は千歳烏山から15分ほど歩くのもおすすめです。暑い時などは千歳烏山ー千歳船橋間のバスで「芦花恒春園」バス停から数分歩いていくのもいいかと思います。

文豪徳富蘆花さんにも親しめる蘆花恒春園、とてもおすすめです。

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