不忍池の蓮を見に行った!2024開花状況&見頃はいつ?早朝の上野のおすすめ場所や時間帯も紹介

ふつう散歩

7月初めから8月上旬は、上野・不忍池の蓮(ハス)の季節。
蓮がきれいに開いているのは早朝です。
「暑い時期に朝からかぁ」と思っていましたが、2021年に行ってみたら、
すっかり蓮ファンになりました。

その後は、友人を誘ったり、一人でも行ったり、毎年何回か見に行っています。

しかし、朝7時の不忍池で蓮(ハス)を見たあと、どう過ごすかは問題。
せっかくの上野を楽しみたいけれど、朝はどこも閉まっているし、暑い!

この記事は、不忍池の蓮に興味がある方に向けて書いています。
前半は、開花状況&見頃について、ご紹介します。2023年と2024年の情報です。
後半は、朝7時に蓮を見てからの、早朝の上野のおすすめ場所や時間帯を紹介します。

不忍池 蓮(ハス)の見頃と開花時間

私は、X(旧ツイッター)で、最近行った方の投稿を見てから、出かけるようにしています。
2023年と2024年に、私が撮影した写真をご紹介します。

上の写真は、2023年7月12日の蓮(ハス)です。朝から猛暑の日の朝7時ごろの撮影です。「たくさん咲いてる!」と友人たちと大喜びしたくらい、充分開花していました。

上の写真は、2023年7月31日 猛暑の朝7時ごろの写真です。花の数は一番多くて豪華でした。一つ一つの花は、7月初めの方が美しかったように感じました。

上の写真は、2024年7月3日の写真です。(あとの記事でも紹介します)曇りの日の7時半ごろの写真です。この日は、展望デッキ(蓮見デッキ)は風鈴回廊の準備で立入禁止だったので、撮影しにくかったです。蓮はまだ咲き始めでした。

上の写真は、2024年7月11日 10時半の写真です。寝坊してしまったのですが、この時間でも蓮は咲いていました。まだ見頃には早かったです。

蓮の展望デッキにはたくさんの風鈴がつるされ、賑やかでした。不忍池のどこにいても、風鈴の音が聞えました。

展望デッキの近くには、テントの準備ができていました。週末には屋台がでます。

蓮の開花については、7月中の朝であれば、その時々の蓮の花を楽しめます。8月もしばらくは楽しめそう。開花情報を、行った方の新鮮な投稿で確認して出かけるのがよさそうです。

ここからは、2024年7月3日の、蓮(ハス)を見てからの上野さんぽの記事です。朝だけは涼しいという予報だったので、出かけました。

湯島駅~不忍池

7月初めの平日、曇っている朝の7時過ぎ。
千代田線の湯島駅から地上へ。

湯島駅からは、数分で不忍池のほとりにつきました。
この時計台と合体した「不忍の池」の看板がいつも迎えてくれます。

不忍池の蓮(ハス)の開花(2024年7月3日)

不忍池は、蓮の葉でいっぱい。
ピンクの花が見えて、テンションがあがります。蓮の花が一番よく見える展望台まで、池の周りを回ります。

お、展望デッキは何か工事中。
今は入れないようです。看板がないので、いつまででどんな工事なのかは、わかりませんでした。

デッキでないところから、写真を。
まだ時期が早いので、花はちらほらです。
でも、新鮮な花を見ることができて満足です。

ちなみに、一つの花は、3日~4日の間咲き続け、朝開いて、午後は閉じてしまいます。
池からすっくと立ちあがっていて、花も葉もワイルド。辨天堂を背にピンクの花がプカプカしているのは、極楽のようです。

池のまわりは、全然混んでいません。

蓮見物の人。犬の散歩やランニングの人。通勤通学の人。公園の健康器具でトレーニングの人。
蓮見物を始めてから、毎回、そんな人々とすれちがう不忍池です。平均年齢は高め!

現在リニューアル休館中の東京風俗博物館の壁に、こんな囲いができていました。

「上野広小路遺跡 三橋(みはし)遺構」と書かれています。

上野広小路に面した上野公園入口には、大正時代まで不忍池池畔から流れる忍川があり、そこに三つの橋が架けられており、「三橋」と呼ばれていました。
中央にある大きな橋は将軍御成りにも使う公的な橋。左右の小さな橋は、庶民の通行が許されている橋
でした。
平成17年に遺構が発掘され、その時に出土した石材や木材を使って、三橋の一部を復元して展示しているのですね

東京風俗博物館が再オープンしたら、見ることができます。
私は、「みはし」って、老舗甘味屋さんの名前だと思っていました。橋のことだったんですね。

不忍池 辯天堂(べんてんどう)と利行碑

先ほどから、蓮のバックで極楽感を盛り上げていた 不忍池 辯天堂(べんてんどう)まで来ました。時計は8時15分前を指しています。

辯天堂にお祀りされているのは「辯才天」です。音楽と芸能の守り神であり、また「辯財天」とも書くことから、金運上昇のご利益があるともいわれます。
地元の商店などの名がはいった提灯が華やかです。

辯天堂の前にはいろいろ見るものがあります。

まずは、「東叡山全景」の看板。江戸時代の上野の気配を感じます。

この辯天堂だけではなく、上野公園一帯は、寛永寺というお寺でした。
江戸時代初期の寛永年間に、寛永寺を中心とした宗教空間をプロデユースしたのは、天海大僧正で、さまざまなものを京都周辺のものに「見立て」ています。
例えば、上野の山一帯を比叡山に、寛永寺は延暦寺に、不忍池は琵琶湖に見立てられています。
辨天堂は、琵琶湖の中にある竹生島の「宝厳寺(ほうごんじ)」のお堂に見立てられています。

寛永寺は、徳川幕府との関係も深く、家康をまつる上野東照宮も作られました。将軍家も、さっき見た三橋の真ん中を通って、やってくるような場所でした。

こちらも、辨天堂の手前にある、利行碑です。
「放浪の画家、日本のゴッホ 長谷川利行」とあります。

草に隠れている看板を読むと、こんなことが書かれています。

二科展などに入選した画家だったが、流浪の生活を送り、昭和15年に行路病者として養育院に保護されて亡くなった。規則によって、持っていた自分の作品も燃やされてしまったという。
友人に「詩集とゴマ塩と砂糖と菓子を持って見舞いにきてほしい」と病床から手紙を送った。
昭和40年代になって、ここに碑が作られた。石に書かれた文字は熊谷守一さんのが書いている。

私は、不忍池の蓮を見に来て4年目になりますが、利行さんの碑が気になりすぎて、毎年熟読せずにいられません。

めがね之碑や、ふぐの碑もありました。
この碑の裏が、ベンチのあるスペースになっていて、座ってハスが眺められる貴重なスポットになっています。

朝の上野の山

不忍池から、階段を上がります。上野台地の上には、寛永寺とともに作られた寺社が集まっています。
以前に『東京裏返し』(吉見俊哉著 2020年)を読んで、上野台地の上にあるものに興味を持つようになりました。

見えているのは、寛永寺清水観音堂です。

清水観音堂は、天海大僧正によって、京都の清水寺に見立てられていました。浮世絵にも登場した「月の松」の輪っかが見えています。

清水観音堂に上がる階段には清水坂の看板があります。

清水観音堂に入れるのは、午前9時からです。まだ入れません。

摺鉢山古墳(すりばちやまこふん)

朝8時の上野の山の、数少ない入れる場所がこちら。なんの看板もないけれど、階段を上ります。

山の上には、ごみ袋があるのみ。これは、常にここにあります。

階段を降りて。

階段を降りて振り向くと、この山が摺鉢山古墳(すりばちやまこふん)だったことが初めてわかります。高さ5mの前方後円墳だそうです。あとで行く五條天神社や、清水観音堂が山の上にあった時期もあるそうです。

文化会館の横を通ります。

岡子規記念球場

左には、正岡子規記念球場

病床で俳句を読んでいたイメージのある正岡子規ですが、野球の愛好家だったと書かれています。
20代の初めに、上野公園でベースボールを楽しんだことを随筆に残しています。
野球のことを、作品に多くとりあげて、普及に貢献しました。「打者」「直球」「走者」などの訳語は今も使われています。

平成18年に、子規の句碑を立て、野球場に正岡子規記念球場の愛称がついたそうです。

散歩の途中に看板があったら、必ず読むことにしていますが、上野の山でそれをやっていると、前に進めなくなりそうです。

野公園

上野公園のメインストリートも、まだまだ人は少な目です。

国立科学博物館が見えています。このあたり、寛永寺の大伽藍があったところだそうです。
明治時代になって、上野公園の中心部には、江戸時代に栄えた寛永寺関係建物に代わり、博物館や公園が作られたり、博覧会が行われたりしたそうです。いつ来ても広大な空間です。

スターバックスコーヒー

スターバックスコーヒーが見えてきました。
上野公園の広大な広場の中にあり、よく見ればちゃんと和風な屋根になっています。

ここは朝8時開店なので、蓮見物のあとモーニングを食べることが多いです。
この日は、席は空いているけれど、レジには数人の行列。
よく見れば、並んでいるほとんどが外国からのお客さま。レジの店員さんは、英語を駆使して、注文を聞き取り、いろんなことを説明していて、すごい!

私は本日のコーヒーとピザトーストを注文。「このコーヒー、トマトにあいますよ」と一言かけてくれるレジの人。接客の鑑だな。

平日朝8時時半のテラス。ゆったりしています。
外国の家族連れの方たちは、身軽な様子で、これから観光なのかな。
犬連れの方たちは、顔見知り、という感じで、犬の近況報告。お互いの犬をなでてみたり、子どもが保育園に行っていた時のママ友との会話と似たものを感じます。

建物にそって、ベンチ型の席もあるので、一人客も過ごしやすいです。緑が多くて、広場が広大でのびのびします。
ピザトーストのドライトマトがいいなあ、と思っていると。

スズメが近くまで降りてきて、トレイに乗る勢い。
多分、私のピザトーストをねらっていて、ちょっとこわい。
でも、君はそんなものを食べていいのか?

スズメのことがわからな過ぎて、消極的対応の私。写真だけ撮らせてもらいました。
他のお客さんのテーブルでも勇ましくアタックするスズメ。
こんなに積極的なスズメって珍しいような。

神社などが開門する9時まで、のんびりしました。

上野大仏

上野大佛と看板が立つ、小山にやってきました。

大佛パゴダ」と看板が出ていますが、開くのは10時ー16時とのこと。外からお参りして、写真を撮らせていただきました。

前にお参りした時見たところによると、正面にあるのは、昭和40年代に、大仏復興の願いをこめて建てられたパゴダ塔(仏塔)。
中には、もとは上野東照宮にあった薬師三尊像が祀られています。手書きの説明書きには、「薬師三尊像は、もともと寛永寺にあったが、明治初期の神仏分離令によって寛永寺に移管されていた」

左側の屋根のある建物には、一度会ったら忘れられない大仏の「顔」がいらっしゃいます。

関東大震災で本体から落下し、本体は太平洋戦争で供出されてしまった、という波乱にみちた顔。
「これ以上は落ちない」ということで、受験生に人気らしく、シュールすぎる絵馬がたくさん下がっていました。
大仏も薬師三尊像も、歴史の荒波にもまれた方たちが住まっている小山なのでした。

上野精養軒 韻松亭(いんしょうてい)

老舗の上野精養軒。一度行ってみたいものです。

この普通の古い家みたいなのが、韻松亭(しょういんてい)です。

上野の山が公園や美術館、博覧会会場になった時期に、明治政府は、公園を訪れる人の飲食施設を、民間人に造らせました。その一つが韻松亭だそう。

先日、友人と予約してランチを食べたのですが、雰囲気も料理も大変よかったです。
グループだったので、掘りごたつの和室でしたが、スタイリッシュな洋風の部屋もあり、人数に合う席に案内してくれるようです。

韻松亭の隣には、寛永寺時代の鐘楼が残されています。当時の博物館館長、町田久成は、鐘が「松に響く」さまを愛でて「韻松亭」と名づけたそうです。

花園稲荷神社 五條天神社

韻松亭の左隣は、花園稲荷神社五條天神社の参道となっています。参道の先は、下っていて、稲荷坂の標識がありました。

「花園稲荷神社は、穴稲荷、忍岡稲荷とも呼ばれ、創建年代は諸説あるが、江戸時代初期には創建されていた。この坂は江戸時代から稲荷坂の名がある」と書かれています。

花園稲荷神社です。何人かの方がお参りしていました。いくつか桔梗があって、こちらを見ている狐の表情が印象的です。

この鳥居をくぐって左側の扉をあけると、穴稲荷がありました。
丁度出てくる人がいたおかげで、扉があることに気づきました。

穴稲荷は、神域のため写真撮影は禁止です。
赤い鉄の扉をガシャンと開けてはいると、たくさんの提灯や狐の神様の祠のようなものがありました。
「寛永寺を創建した天海が、もともと住んでいた狐のすみかを奪ってしまったことを憐れんで洞窟をつくった」ということが書いてあったかと思います。(写真がないの記憶があいまいです)

縁結びや金運のパワースポットとも言われているそうです。
ここまで来たら、見逃さずにお参りしたい場所です。

階段を降りると、五條天神社があります。

神社庁のHPには、「日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐で上野忍が岡を通った時、薬祖神二柱の大神に加護を頂いたことを感謝して、此の地に両神をまつったのが神社のはじめ(約1900年前)」と書いてありました。これは断然古くからある神社ですね。社地は天神山(今の摺鉢山)など幾度か変遷を重ね、昭和三年九月より、現在の場所にあるそうです。

夏詣の提灯が出て、笹の葉も涼し気でした。
医薬祭として、病気平癒や無病息災の祈願を行っているそうです。

社務所の前の稲が気になりました。神様のお米がとれるのでしょうか?

寛永寺 清水観音堂

9時を過ぎたので再び清水観音堂へ。この輪っかは「月の松」。真ん中に不忍池の辨天堂が見えているのが、とても可愛らしい。
江戸時代からの人気スポットで、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれた景色だとか。

上野駅前 サクラテラス付近

朝9時半。太陽が出て暑くなってきました。このあと気温急上昇の予報です。
上野の山を下りて、上野駅近くに来ました。

降りてきた上野の山は、左奥。右には、上野の山のへりに、サクラテラスなどの商業施設が並びます。

アメヤ横丁

交差点を渡るとアメヤ横丁です。

まだ開店前の店が多い中に、はじまっていそうな店も。

海苔や乾物の店は、昔から今も健在。

煮込みの店には、開店前から結構な行列。

王城

今回の散歩は、スターバックスでモーニングを食べましたが、去年は老舗喫茶店王城で食べました。朝8時にオープンします。

この日は、行列もなく、すぐに入店できそうでした。

こちらは、昨年撮影した王城の内部です。トーストが予想外に厚いけれどふかふかで、天井なんかも素敵なのです。若い人にもレトロなこのお店は人気なようで、行列する時もあるそうです。

摩利支天 徳大寺

アメ横の二階に幟がはためいています。今日の最後の目的地です。

アメ横海運商店街の二階がお寺になっています。1階にもお参りできる外堂があります。

二木の菓子のとなりに入口があります。

中でお参りしました。昔の上野広小路や松坂屋の写真が飾ってありました。

看板には、由来が書いてありました。

・当江戸時初めの寛永年間に慈光院日遣上人によって創建された。
・仏教の守護神である開運大摩利支尊天を奉安することから摩利支天徳大寺とも称した。
・明治時代には。縁日に摩利支天横丁を中心に多くの露店が立ち並び、大変な賑わいを見せるようになった。関東大震災と戦災で、堂宇は二度にわたり灰燼に帰したが、御尊像は焼失を免れた。
・闇市の出現などによる町並みの変化に伴い、移転再建が検討されながらもこの地に留まり、昭和三十九年全伽藍の復興を果たし、今日の姿に至った。

 寺社町として栄えた上野広小路の地に残る最後の寺院だそうです。お寺をこんな町中の2階に再建するなんて、いろいろ意見があったのではないでしょうか?でもお寺のバックが、こんなに極彩色って、私は大好きです。

上野松坂屋 と あんみつのみはし

上野広小路駅から銀座線に乗ろうと、上野松坂屋へ。

昔からのデパートで、階段の装飾などが素敵です。そして、2階が介護や睡眠に特化したフロアになっていたり、エスカレーターがすごくゆっくりだったり、全体にシニアにやさしい。
2階のエレベーターの前には、シルバーカーとステッキのコーナーが。デパートはこういう方向になっていくのね、と思ったのでした。

上野松坂屋の地下にイートインのついたみはしを発見。
不忍池のほとりで、三橋の名の由来を見たばかりなので、何かの縁を感じて、みつまめを注文。

実は、現在ダイエット中で、家でも寒天を食前に食べています。
「あんみつがいいな」と思いつつの、みつまめ。

あんがないけれど、干しあんずが載っている。
あんがない分、みつや、赤えんどう豆の美味しさがしみじみする。
などの負け惜しみをいいつつ、みつまめを楽しみました。大変美味しかったです。

あと、お茶が素晴らしくて、おおっとなりました。

メニューにも「みはし」の由来が書いてありました。
帰りにお店の方に本店の込み具合を聞くと、平日の朝や夕方なら行列ではないとのこと。
「本店にも行ってみたい、今度はあんみつを」と誓うのでした。

ちなみに「みはし」本店はこんな感じ。テイクアウトもあるけれど、やっぱり店内でいただきたい!


この記事では、不忍池の蓮の見頃や開花時間、蓮を見た後の早朝の上野を楽しむ散歩について、紹介しました。

早朝はオープンしていない場所が多く、時間と共に暑さが厳しくなる散歩でした。
しかし、7時に湯島駅に着いて、10時30分に上野広小路駅を出るまでに、見て、食べて、楽しみました。

江戸時代から戦前にかけては、一番メジャーの一つだった上野。
蓮もいいし、見るものもたくさんあります。
この記事を読んで、蓮と上野を楽しんでいただけたら、と思います。

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