2024年3月29日放送のじゅん散歩は、新馬場を歩きました。
この記事では、①じゅん散歩新馬場の内容を紹介➁私がじっくり歩いた新馬場の紹介をします。
新馬場や品川宿をじっくり歩きたい方におすすめの記事です。
新馬場といえば、東海道品川宿を歩いたり、品川神社の富士塚から眺めを楽しんだり、船溜まりで海を感じたり、お寺や路地もある、バラエティーに富んだ散歩ができる町です。
まずは、じゅん散歩の放送について振り返ります。
じゅん散歩新馬場オープニング
じゅん散歩は、新馬場駅からスタート。
「今日は、新馬場(しんばんば)。旧東海道が通る町として有名です。江戸時代には馬場もあったんでしょう。今日はちょんまげの人も10人くらい通るかもしれません。」と高田純次さん。
下のようなナレーションが入りました。
東海道最初の宿場町だったこの一帯は、江戸時代から続く老舗や寺が残ります。東海道の道幅は7mと当時と変わらず、旅人気分で散歩を楽しめます。珍道中と参りましょう。
高田純次さんが歩いていると、「フランスの機械のメーカーに勤めていて、これから配達に行く」という女性に会います。
高田さんは、提灯が下がる一心寺を通り過ぎて、履物店に入ります。
丸屋履物店 じゅん散歩新馬場
高田純次さんは、丸屋履物店の店先で、六代目店主の榎本英臣さんとお話。
「お客さんに下駄と鼻緒を選んでいただいて、その場ですげるという仕事をしています」と榎本さん。
高田さんは、一本歯の下駄を見せてもらいます。
「これが修行になるんだよね」
店にはさまざまな下駄が飾られています。
店主は下駄や草履のコーディネート例を毎日SNSにあげています。
下駄の形もいろいろあります。
「千両は高田さんにぴったり」
「ぼくは万両なんだよ」
高田さんは、下駄を一つあつらえてもらいます。
「背が高くなった気がするな」
高田さんは、東海道を下駄で歩きます。
「靴と同じように歩いてくださったら」とお店の方からのアドバイス。
「だいぶ足が疲れると思うのですが」
近くの尾張屋の店さきで「服も買わないとな」
と作務衣をちょっと見ます。
「こういうのでスナックにいきたいな」
丸屋履物店の公式ホームページには、いろいろな形の紳士下駄が載っていました。
駒下駄、のめり、右近、一本歯などの形があり、のめりの中に大千両の文字がありました。
さらに、ホームページを読むと、丸屋履物店は、慶応元年の創業以来、「お客さんに台と花緒を選んでもらって、その場で足に合わせる」スタイルを崩していないそうです。足にフィットした履物を提供するためです。
公式ホームページには「下駄買ってみた」という動画もありました。
「品川下駄屋物語」というコラムには、店を継ぐ5代目店主さんの率直な文章で、店の歴史が綴られています。
店の建物は、明治時代のもの。「火事が多いので簡単でいい」と建てた建築が今も残っているそうです。
番組にも、この店主さんが登場していました。
後半は、私が歩いた新馬場さんぽを紹介します。
新馬場は品川宿の真ん中にあります。
品川宿って、どんなものなのでしょうか?
この町は、鎌倉時代、室町時代には、港町として発展していたといいます。寺院も多く集まっていました。
江戸時代には、東海道の宿として、非常に発展しました。
今でも、町の中を通る旧東海道は、江戸時代からの道の幅を保っています。
地元の方たちは、景観計画を立てて店のデザインに基準を設けたり、歩道を石畳にして電線を地下化するなど、景観の整備を進め、貴重な町なみを今に伝えています。
品川神社
新馬場駅を降りたら、まずは、第一京浜を渡って、品川神社へ。広い道に面して、そそりたつ石段。
品川神社は、源頼朝が、海上安全と祈願成就の守護神を勧請して建てました。徳川家康は、関ケ原の戦の出陣の際に戦勝を祈願しました。江戸時代に社殿が焼失した際には、将軍家の命によって再建が行われるなど、将軍家の手厚い庇護を受けた神社です。
まずは、大鳥居に注目!1925年に建てられた鳥居には、左の柱に昇り龍、右の柱に降り龍が巻き付いています。このような鳥居は、双龍鳥居といい、都内でも三か所しかない貴重なものだそう。彫ったのは、石工の高橋安五郎。とても見ごたえのある彫刻です。
品川神社の石段を上ります。
拝殿は、鮮やかな赤色です。1964年に建て替えたものを、2020年に改修したそうです。
参拝してから、富士塚にも登りました。階段とくさりがあって短い距離だけれど、そこそこ必死です。
富士塚があれば、絶対登りたい私です。何と品川神社の富士塚は都内一の高さだそう。
上からの景色も素晴らしい!
今は、京浜急行が走り、家並みが広がっていますが、昔はすぐそばに海が見えたそうです。その景色が見たかったな、と思います。
北馬場参道通り
再び第一京浜を渡って、品川神社の参道である北馬場参道通りを歩きます。
魚ミチの建物は看板建築。美しい緑色。王将の建物もなんだか特徴的です。
角の右側に「虚空蔵横丁」の看板があります。看板はさびさびですが・・虚空蔵というのは、養願寺のにある虚空蔵菩薩のことで、養願寺に続く横丁です。
虚空蔵横丁 正徳寺の煉瓦塀
素敵な煉瓦塀が現れました。この煉瓦塀は、正徳寺の塀で、大井町にあった東京毛織工場の煉瓦を運び、積みなおしたものだそうです。東京毛織工場の関係会社であった鈴木商店のHPに書いてありました。
虚空蔵横丁をもう少し進むと、信号機カラーの布が近づいてきます。そこが養願寺ですが、旅館静正の電柱の手前を左に曲がります。
小泉長屋
旅館静正の道は、しっとりしていい感じ。
旅館の前をさらに進み、細い道をうろうろ。
赤いのぼりが見えてきました。
この看板には、旧小泉長屋と於春(おはる)稲荷の説明が書いてあります。今ぐるっと回った細い道のあたりは旧小泉長屋といいます。
江戸時代(一七四八~五〇ごろ)小泉屋金左衛門という人が、買って、貸長屋を建てた。(『新編武蔵風土記稿』より)とありました。
このあたりは、長屋だった時の区画は残っているそうです。
ここはまたいい雰囲気の路地。ここを抜けたら・・
また虚空蔵横丁に出ました。そこから今来た路地をのぞきこんだところ。
改装してゲストハウスになっている家もあります。
養源寺
養願寺は、1299創建の天台宗のお寺です。本尊は、虚空蔵菩薩です。子供が13~15歳までにお参りすると福・徳・智慧が授かると言われています。
虚空蔵尊のお縁日が有名で、露店や物産市、大道芸などで賑わうそうです。
スナックが並ぶ通りを歩くと、正面に見えてくるのは一心寺。じゅん散歩でも、ちょっと写っていました。
旧東海道に出ました。左の素敵な建物が、じゅん散歩で訪ねた丸屋履物店です。これが明治時代からの建物!木造のこういう建物で明治時代って貴重なのではないでしょうか。
少し歩いて振り向いたところ。旧東海道は、江戸時代の道幅のままなのだそうです。悟空堀横丁から出てきた角では、高層ビルが建設中で、クレーンで何かが吊り上げられていました。賑やかな場所の頭上での工事、さぞ緊張感があるでしょう。歩いている人は意外と気にしていない。
法禅寺
旧東海道を北品川駅の方に歩きながら、左を見ればお寺が。
法禅寺は、明徳元年(1390)に言譽定賢が創建した浄土宗のお寺です。
品川区の小学校発祥の地でもあるらしい。
正面は普通の立派なお寺ですが
本堂の横の壁は、煉瓦です。”建築史家・倉方さんとひも解く東京。職人の技と歴史が息づく品川へ”というweb記事には、「煉瓦の壁がこんなに大きいだけでなく、ドアや窓の上がアーチ状だったり、一つ一つ色が違うことも、見どころだ」と書かれていました。
明治時代に海外から入ってきた煉瓦は、防火の目的でも使われたそうですが、多く使われたのは関東大震災まで。その後はコンクリート造りのものが増えていったようです。
門の周りにも煉瓦があります。
ここには大量の板碑があるそうです。品川御殿山から、幕末に台場を作った時に土を取った際に出土したものの一部で、総数121基!14世紀から15世紀までの石碑で、こんなに大量に保管されているのは珍しいのだそう。
杉森稲荷神社
法禅寺の入り口あたりの赤い鳥居は杉森稲荷神社。この先には何が?
賽銭箱の上に小さな狐が。謎めいた空間でとてもいい。
善福寺
法禅寺から善福寺へ。見えているのは法禅寺のイチョウの大木です。
あっという間に善福寺に到着。山門の風格がすごい。善福寺は、永仁2年(1294)につくられた時宗の寺です。
明治時代に建てられた本堂には、入江長八のものと伝えられる鏝絵があります。
木の柱や壁を漆喰で塗り固めた土蔵造という、寺としては珍しい建物です。防火を重視したものと考えられているそうです。
稲荷堂と倉庫のような建物。
旧東海道から善福寺を見たところ。
旧東海道から善福寺に入る角に「歩行新宿(かちしんじゅく)字裏町」の看板がありました。善福寺や法禅寺の近くは、かつては非常にぎわっていたようです。確かに前に何かがあった気配がしました。
今日歩いてきたレンガ堀の正徳寺、養願寺、法禅寺、善福寺とも、中世にできた非常に古い寺。どのお寺も雰囲気があって、おすすめの散歩コースです。
星野金物店
旧東海道の有名な看板建築の星野金物店。明治時代創業だといいます。二階の窓やタイルが可愛いです。まだまだ金物屋さんとしても現役で営業中でした。
KAIDO
旧東海道にあるKAIDOでランチ。
こちらは、東京や他の地方のガイドブックを大量に置いてあるブックカフェです。
利田神社
この本棚は、散歩好きには魅力。古い東京本が多くて、普通の図書館よりも充実している。都立図書館よりも魅力的かもしれません。
前に来たときに読んだ『東京の路地を歩く』をまた読みました。品川の路地の話が書かれています。
店内には、コミックを読み込んでいる学生の姿もあり、「ブックカフェっぽい利用もされているのだなあ」と思いました。席がゆったりして、本に集中できる造りです。
一人や少人数で過ごす人が多くて、本もあるこの店は、ひとりごはんには最適です。
ホットドッグは、歯ごたえずっしり、スパイシーで本当に絶品。
「レモンも食べられますよ」と出してくれたレモネードも。お散歩の時は、コーヒーよりレモネードがいいかも。
台場横町
かつての海の方に向かいます。少し下り坂になっているこのあたりは、台場横町。
この道は、御殿山下台場(現台場小学校内)に向かう道です。幕末にペリー来航にショックを受けた幕府が作った台場の一つです。道の左手には、映画館や劇場として使われた洋館「帝国館」があって賑わった町だったそう。
今は、サボテンがついた服のお店があります。
この街の看板、いいですね。情報量多いしデザインも素敵。
利田神社と鯨塚
ゆるい坂を降りて、八ツ山通りに来ました。多分前はここから海だったと思われます。
羽田空港発着の飛行機が、頻繁にすぐ上を通ります。前はこんなではなかったような。
利田神社は、小さな神社ですが、見るべきものはたくさんあります。
この神社は、江戸時代のはじめに、沢庵和尚が旧目黒川の砂州に弁財天を祀ったことが始まりだと言われています。
「沢庵って、大根で作る黄色い漬物の?」って思いますよね。その沢庵和尚なのです。
京都の臨済宗の僧侶だった沢庵は、波乱に富んだ前半生を過ごしました。60歳を過ぎてから、家光との関わりを持ち、厚く遇されるようになります。家光によって創建された品川の東海寺の初代住職を務めました。
ちなみに、沢庵和尚と沢庵の関係については、はっきりしたことはわからないそうです。家光が東海寺を訪れた際、ダイコンのたくわえ漬を出したところ、気に入った家光が「タクワエ漬ニアラス沢庵漬ナリ」と命名したとも言われています。
境内には、鯨塚があります。
私、最初に訪問した時には、鯨塚を見逃しました。ちょっと横の方にあるのです。三角形の石でできた塚です。鯨の形なのでしょうか?
なぜか池には金魚がいて、プランターのパンジーも美しい。
地元の方に守られている鯨塚のようです。
1978年に品川沖に鯨が現れ、それを品川の漁師が生きたまま天王洲の方に追い込んで捕獲。江戸では大騒ぎになり、たくさんの見物人がやってきました。さらには鯨を浜離宮に引いて行って、将軍斉昭も鯨をながめ、大喜び。クジラの手ぬぐいや食べ物も売り出されたそうです。
品川浦 舟だまり
釣り船や屋形船の乗船場がありました。
ここは品川浦舟だまり。
釣り船が一つ一つ珍しいし、時が止まったような風景。
でもバックには高層ビル群があって、独特の景色です。
他にはない景色で、とても好きな場所。
もともと港ができたことから、繁栄がはじまった品川らしい景色です。
旧東海道
旧東海道を南へ。
通れそうな路地。のぞくだけ。
溜屋(たまりや)横丁の看板。町名に由来についての記載はないそうです。品川でもそんなことが!横の掲示板も渋くて好き。
品川宿本陣跡
旧東海道に戻って、今度は南の方へ。
ここは品川宿本陣跡。大名や勅使が休息・宿泊する旅宿があったところだそうです。
明治時代に警視庁品川病院となりましたが、昭和13年に公園として整備されました。明治元年に明治天皇の東幸の行在所となったため「聖蹟公園」と名がつきました。
今は北品川児童センターがあります。
通っていい路地
品川宿交流館に来たら、16時過ぎで閉まっていました。でも「歩いていいいよ」と看板が言ってくれている路地が嬉しい。通り抜けはお静かに、とあります。
素敵です。静かに静かに。
『品川菓匠 孝庵』(しながわかしょう きょうあん)
品川橋の近くまで来たら、スイーツの看板。
歩きつかれて、スイーツがほしいところだったので、迷わず中へ。
お店の方が優しく声をかけてくれたので、おすすめを聞くと「宿場ロール」と「しながわ満月」
近くの学校とのコラボスイーツ(売り切れてました)や、愛犬のおやつのコーナーも。
帰宅してからいただきました。
宿場ロールは、さくっとした食感。パイがはいっている?クリームにも特徴がありました。
品川菓匠 孝庵のホームページを見ると、「宿場ロールのひみつ」というページがある!
こんなことが書かれていました。
・生地は、ショートケーキなどに使う生地の約2倍の分量のバターを使用し、さらに卵黄をたっぷり加えて、コクと深みのある生地に。
・クリームは、その生地にあうバタークリーム。
・胡桃を散りばめたシュークリームの皮でぎゅっと巻いて、寝かせてから切っている。
この日は買わなかったけれど、江戸野菜を使った品川カブレも気になりました。
目黒川 品川橋
目黒川を品川橋で越えます。
品川宿は、品川橋で南北に別れていました。
品川橋から見ると、向こうは海みたいです。
荏原神社
709年創立の荏原神社。神輿を海にかつぎいれて行う海中渡御で知られています。一度見てみたいと思っています。お参りに来る人が通った鎮守橋。
多分先代の鎮守橋の擬宝珠。先代の方が今のものより立派です!
新馬場駅に戻ってきました。
ベンチが2列で線路と直角向きなのが新鮮でした。京浜急行ではよくあることなのか?
最後まで疑問を残しつつ新馬場さんぽは終りました。
この記事では、①じゅん散歩新馬場の内容を紹介➁私がじっくり歩いた新馬場を紹介しました。
新馬場や品川宿をしっかり楽しみたい方におすすめの記事です。じゅん散歩でも取り上げられた、新馬場は品川宿のある歴史を感じられる町。
ぜひ散歩を楽しんでみてください。