じゅん散歩 東向島・曳舟 2024.10月放送 草餅と三色団子 歩いて食べてご紹介

町散歩

2024年10月のじゅん散歩は墨田区を歩きました。
 ・14日(月) 東向島
 ・15日 (火) 曳舟

私も何回か散歩して、好きになったエリアです。
江戸時代からの伝統が息づき、多くの文人が愛した町。永井荷風の名作『墨東綺譚』の舞台でもあります。今も活気にあふれる和菓子天国!
じゅん散歩の放映直前、予告を見て登場しそうな場所を中心に歩いてみました。

この記事では次の内容を書いています。

●前半:じゅん散歩の番組の様子をお伝えします。
●後半:番組に登場しそうなスポットを中心に、押上駅から東向島駅まで歩いた散歩について書いています。

私は、向島百花園についても、こんな記事も書いています。ぜひごらんください。

●「向島百花園 萩のトンネル見に行った!ランチや駅からのアクセスもご紹介」
向島百花園 萩のトンネルを見に行った

オープニング じゅん散歩 東向島 2024.10.14放送

オープニングは、東向島駅から。
「駅名が2回変わっているんです」

明治35年の、東向島駅開設当初の駅名は「白髭駅」。白髭神社が由来と言われています。
大正13年に「玉ノ井駅」に改称され、昭和62年「東向島駅」に改称されました。

このようなナレーションがあり、玉ノ井いろは通りの映像が流れました。

永井荷風の小説の舞台になった「玉ノ井」。駅名は変わっても、変わらぬ風景が残っています。

東武博物館 じゅん散歩 東向島 2024.10.14放送

高田純次さんは、東向島駅前粋(いき)通りを歩いて「下町の雰囲気だね」
東武博物館を訪問しました。1989年開館の博物館です。デラックスロマンスカーなどの、かつての人気車両を見ることができます。運転シミュレーターなどの体験もできます。

1階には、歴史的に重要な車輛が展示されています。

5号蒸気機関車は、イギリスから1898年にやってきたもの。東武鉄道の開業当初から昭和40年代まで現役で走ったそうです。
高田純次さんは、昭和26年生まれのバスに乗車。中はきれいに整備されて、シートに座れます。
「天井が低いよね」当時の日本人の身長は今と違うのです。

クラシックロマンスカー「けごん」、関東をイメージした大パノラマの中で東武電車を走らせることができるセット、運転シュミテーターが映像で紹介されました。

高田純次さんは、「とっておきの場所」の2階に案内されます。「ウォッチプロムナード」では、東向島駅ホームに停車中の電車の車輪部分をじっくり眺められるようになっています。
「これは子どもたちが喜ぶね」と高田さんがコメントしました。

向島百花園  じゅん散歩 東向島 2024.10.14放送

高田純次さんは、向島百花園の前を歩きます。
「10月は、ススキ、オミナエシ。シュウメイギクが見頃」と写真で紹介がありました。

志゙満ん草餅 じゅん散歩 東向島 2024.10.14放送

高田純次さんは、スカイツリーを見ながら、墨堤通りを歩きます。
志゙満ん草餅ののれんの文字を「なんてよむのかな。じまんかな?」と言いながら入店します。

店内のショーケースには、草餅や焼き団子、大福などが並びます。
店の方に、名物草団子を紹介されます。
餡入りと餡なしがあって、餡なしはへこんでいて、蜜ときなこがつきます。蜜ときなこが入れやすいようにへこんでいるのです。

1869年創業の和菓子店で、隅田川を渡る客に売り出したのが店のはじまりです。あんがない草餅が看板商品。

高田純次さんが餡ありと餡なし両方の草餅を試食。「みつときなこの味がした」「珍しいといえば餡なしだよね」とコメントしました。
店の方に、どちらが好きかと聞くと「餡ありが好き。餡なしはあまり食べない」との答えでした。
「正直だね!」

高木神社(室町時代創建のおむすび神社) じゅん散歩 曳舟 2024.10.15放送

オープニングは高木神社から。

おむすび型の石が、石灯篭(とうろう)の周りにぎっしり供えられています。

社務所で由来を尋ねると、
「高木神社の御祭神がタカミムスビノカミ。うちの家族(お寺の方)が境内の石におむすびを描いておいてみたら、どんどん増えて・・」と意外な理由を語ってくれました。

おむすび絵馬や、おむすび御守の映像も流れました。

かめパン向島店  じゅん散歩 曳舟 2024.10.15放送

高田純次さんは、曳舟川通りを歩き、角を曲がります。
「かめパンが道の両側にある。」と言いながら、「料亭たまごサンド」の看板を覗きます。
「このたまご、料亭で食べると一万円するよ」

昭和27年創業の「かめパン」と、昭和24年創業の「料亭きよし」のコラボです。

かんざし杉野  じゅん散歩 曳舟 2024.10.15放送

高田純次さんは、向島三丁目を歩きます。
「卸」「江戸つまみかんざし」と書かれた「かんざし杉野」の扉をあけて、中へ。
お店ではなくて、事務所というか。会社のようなところです。

デザインを手掛けている杉野さんに話を聞きます。

つまみ細工をつけている「つまみかんざし」は、杉野さんがデザインして、職人さんと作って居ryそうです。
「型があるの?」と聞くと、頭の中で考えて組み立てるのだと言います。

成人式用に開発したかんざし「アレンカ」は、パーツが分解できるようになっていて、成人式後は器に入れて飾るとこができます。

かんざし杉野は、昭和24年創業。ネイルアーティストの経験がある杉野サトコさんが参加してから、現代風のデザインを扱うようになりました。かん
ADの小野さんが、かんざしをつけてもらいました。

言問団子  じゅん散歩 曳舟 2024.10.15放送

高田純次さんは、長命寺の言問幼稚園の前を通ります。
「お寺の幼稚園は多いね。やっぱり安心するのかな」

隅田公園少年野球場の前には、バッターのレリーフが。
昭和24年に出来た日本ではじめての少年野球場。王貞治さんもここで育ったとあります。

続いて隣接する言問団子へ。高田さんは、店の前の看板を眺めました。

お店の中で、六代目当主 外山和男さんとおはなし。創業170年だという。
高田さんは、団子のセットを注文しました。

店内に展示されている昔の皿や、団子を作る道具を見せてもらいます。
言問の名の由来は、在原業平が、隅田川で読んだ和歌「名にしおば いざ言問はん都鳥 我が思う人は ありやなしやと」から来ていることから、店のシンボルは都鳥。お皿などに都鳥があしらわれています。

高田純次さんは、三色団子を食べます。2つに切って、断面を見せてから食べます。
店主さんから、「黄色の団子は、靑梅と言って、皮にくずと白玉が入っているので少し切りにくい」との言葉が。

食べた高田さんは、「たまらんちんだね」とコメント。「あんも同じような甘さで、3つというのもまたいい」

ここからは、私の東向島・曳舟散歩の記事になります。
2024.10月のじゅん散歩の予告が出たタイイングで、私も予告に出た場所を中心に歩いてみました。

押上駅~桜橋通り

2024年10月12日、24℃晴れの気持ちのいい午後、押上駅から歩きはじめました。
じゅん散歩・曳舟の予告で「料亭の卵サンド」と出ていた石窯パン工房KAMEYAを目指します。

押上駅のA3出口は静かで快適。階段を上ると、スカイツリーが根元から見えました。

桜橋通りを隅田川に向かって歩きます。押上一丁目の交差点で交わるのは、曳舟川通り。名前の通り、曳舟川が流れていたところです。

じゅん散歩・曳舟 石窯パン工房KAMEYA

交差点のすぐ先の小梅通りを左に折れたところに、石窯パン工房KAMEYAがありました。とてもきれいなお店で、店内大繁盛。テラス席もありました。
「料亭きよし×カメヤ」と書かれた看板には、料亭とコラボしたたまごサンドの写真が。甘めの厚焼きたまごをはさんだ「あまめちゃん」と、からしマヨネーズが効いた大人味の「だし女将」の2種類がありみたい。

小梅通りをはさんだところには、かめパンCafe。こちらは、おしゃれなカフェですが、子ども連れのお客さんの姿も見えて、気軽に入れそうです。

ここでランチにしたかったのですが、空腹に耐えられず別のところでランチをしてきてしまった私。再訪を誓いました。

桜橋通り

再び、桜橋通りに戻ります。森鴎外旧居跡の看板がありました。少年~青年期の数年間の間、家族と過ごした家があったそうです。近くの小梅村に、津和野藩主の下屋敷があって、その縁があったのですね。

小さなお稲荷さんを発見。

水戸街道との交差点を渡ります。

ここからは、昔からあると思われるお店が続々。ひな人形の塚田工房がありました。

向島めうがやの中では、職人さんが作業中でした。外の鉢植えも店の構えも美しい。

あんみつの新緑堂もお客さんがたくさんでした。あんみつやところてんを、てんぐさから作った寒天を使って提供する評判のお店みたいです。

見番通り

見番通りとの交差点にやってきました。まっすぐ進めば、すぐに隅田川です。
見番について、向島墨堤組合のHPを見てみました。今でも江戸時代からの伝統が残る通りです。

・見番は、向島墨堤組合の俗称

・向島は、浅草からみて向こうにあるいつか行ってみたい雅な街で「向島」と呼ばれた。江戸時代から料亭街として栄えた。多くの文人墨客が立ち寄った。現在でも、多くの料亭がある。

・向島墨堤組合は、昭和61年11月15日、芸妓組合、料亭組合、料理店組合が合併して、現在に至る。料亭への芸妓の手配、料亭の予約手配、芸妓の育成やお稽古など、伝統文化の継承などを行っている。

見番通りの左方向はこんな感じ。三囲(みめぐり)神社に続く道です。

見番通りを右に折れます。この建物はすごい、と思ったら有名な建築でした。
割烹美家古(みやこ)向島本店。昭和前期の料亭建築で、2011年に、国の登録有形文化財(建造物)に登録されたものだそうです。

弘福寺

弘福寺です。禅宗のお寺。境内の咳の娑婆尊は、咳の病に効くとされています。

長命寺

長命寺には、門を入ると、幼稚園(保育園?)があります。
長命寺の名の由来は「徳川家光が、鷹狩の途中急な腹痛に見舞われたが、寺の井戸水を飲んで回復した」ことによるそうです。

長命寺の本堂の裏には、芭蕉の句碑などたくさんの見どころが。

隅田川に向かって、小さな坂を上がります。

「長命寺さくら餅」ののれんが。お花見の季節には混雑していますが、今日は楽に入れそうでした。
こちらの桜もちは、何度か食べましたが、本当に美味。
お店のHPには、由来が書かれていました。

・創業者 山本新六が、1717年に、土手の桜の葉を塩漬けにして、桜もちとを考案。長命寺の門前で売り始めた。
・桜の名所隅田堤(墨堤通り)は。花見時には多くの人が集まり、桜もちは大変喜ばれた。

言問団子

長命寺の向いには、言問団子の店がありました。
店の前の看板には、言問団子の由来が。

・向島の植木屋 外山佐吉が、江戸時代に、文人墨客に手製の団子をふるまう店を作ったのがはじまり。
・佐吉は、団子の名を「言問団子」とし、この辺りを「言問ヶ岡」と呼んだ。
・「言問」の名は、在原業平が、隅田川で読んだ和歌「名にしおば いざ言問はん都鳥 我が思う人は ありやなしやと」から来ている。
・佐吉は、灯篭流しなども行ったため、「言問」の名は広く知られるようになり、後には橋や、通りの名にもなった。

こちらも、お花見シーズンは混んでいましたが、今日はのんびりと座ることができました。
注文したのは、名物言問団子
餡の種類も3種類で、小豆餡、白餡、みそ餡。それぞれの味の違いを楽しみました。

店内もこんな優雅な感じ。
私のあとに、若い人たちが入ってきて、やはり同じものを注文していました。

じゅん散歩でも、高田さんが同じ三色の団子を食べていて、団子の説明もありました。黄「色の団子は、皮がくずと白玉がはいっていて、少し切り分けにくい」とお店の方が言っていましたが、確かに「食感が違うな」と感じたのでした。

鳩の街通り商店街周辺

このあとは、鳩の街商店街に向かって、住宅街の中を歩いていきます。

言問小学校の前の通りです。言問小学校は、関東震災後の復興で作られた建物が今の残っていて、国の有形文化財なのだそうです。

小学校の先に「料亭きよし」の文字が。
石窯パン工房KAMEYAで売っていたたまごサンド「料亭きよし×カメヤ」とあったのは、この料亭です。思いがけず発見。

風情のある路地が続きます。細い道が不思議な角度で交差しています。

つきあたりに「路地尊」と書かれた祠的なものが建っていました。
手前には青い手押しポンプがあり、地域のポスターも貼られている。
墨田区のHPには、こんなことが。

・路地尊(ろじそん)とは、路地の安全を守るシンボル。「地域のコミュニティの場であり、災害時には避難路になる路地を大切にしながら自分たちの手でまちを守ろう」という考えから命名された。
・草花への水やりや子供の水遊びの場として、また災害時の水源として地域で活用されている。
・住宅の屋根に降った雨を集水して、地下のタンクに貯め、手押しポンプで水をくみ上げるシステム。雨水なので、塩素がはいっておらず、草花の水やりにも、金魚の飼育にも使える。

観葉植物やサボテンを育てるのが上手なお店。この間「金のなる木」を枯らした私は、見習いたい。
つい古い建物の写真を撮りますが、子ども連れの家族がたくさん自転車で走っている、活気のある町です。

鳩の街商店街の端っこ、水戸街道沿いの入り口に来ました。アーチにも鳩のマーク。
ここからすぐ近くの秋葉神社に寄り道します。

水戸街道からは、この美しいガラスがはいった家の前を通って秋葉神社の前に。
江戸時代に、火伏の神として諸大名の信仰を集めたそうです。

『墨東綺譚』の中では、「最近新しい道路が通って、浅草から秋葉神社の前までバスが来るようになった」と書かれています。

鳩の街通り商店街の西の通りを北上します。

この通りにあるのが、羽子板資料館。羽子板製造をするお店にある資料館みたいです。11月~1月は休館すると書いてありました。繁忙期ですものね。
墨田区には、このような小さな博物館が23もあるみたい!

鳩の街通り商店街に戻ってきました。おでんの店に行列ができていました。

古い民家を使ったカフェ。いい佇まい。

鳩の街通り商店街の北の端には、達寿司。

すぐ近くに幸田露伴の旧居跡があるので、見に行きます。

会社が並ぶ道を通って200mほど。

幸田露伴の旧居跡は、児童遊園になっていました。「蝸牛庵」と名づけられた旧居にちなんで、かたつむりのオブジェがありました。

志゙満ん草餅 じゅん散歩 東向島 

墨堤通りに戻ってきました。言問団子の前を通っている道です。

隅田川沿いに横浜倉庫の広い敷地が広がります。

17時の閉店時間ぎりぎりの志゙満ん草餅。じゅん散歩にも登場したお店です。
ショーケースの中には焼団子と草餅。

草餅は、餡ありと餡なしがある。餡なしは、2個以上だときな粉と蜜がつき、1個だときな粉のみ。
いやあ、迷いました!


焼団子と餡あり草餅を買って、家でいただきました。団子がやわらかい!なかなかこの食感はないのでは。

じゅん散歩を見ると、特徴的なのは、餡なしの草餅。でも、お店の方は、餡ありが好きだといっていたし、あんこも美味だったので、よかったことにします。

志゙満ん草餅があるのは、地蔵坂通りや、向島百花園に行く道が交差するにぎやかな場所。きびだんごの吉備子屋もありました。

交差点にある子育て地蔵尊。

交差点から北に向かう道。少し行くと白髭神社がありますが、夕暮れがせまっているので行きませんでした。

向島百花園

向島百花園の前を通ります。

東武博物館

東武博物館の前まで来たら、すっかり夜。電車の写真も撮れなかったので、最近昼間に撮った写真を載せます。

特急「けごん」が飾られていました。

東向島駅

東武スカイツリーラインの東向島駅まで戻ってきました。
駅の看板は、かっこの中に「旧玉ノ井」と書いてあります。

東向島駅は、もともと「白鬚駅」として1902年に開業し、1908年に一旦廃止されました。そ
の後、1924年に「玉ノ井駅」として再開業しました。玉ノ井は、東京の中でも有数の歓楽街でした。

じゅん散歩東向島のオープニングは、この駅。駅名の由来についてもくわしく触れました。

夕方の東向島駅に沿った通りは、にぎわっていました。美味しそうな店が並んでいます。


玉ノ井いろは通り・大正通り 永井荷風の小説の舞台

東向島駅の北300mのところに、大正通りが通っています。この地域で最初に繁栄した通りのようで、今でも雰囲気があります。

同じ交差点を右に曲がると玉ノ井いろは通り
このあたりが、永井荷風の『墨東綺譚』の舞台のようです。路地に入り込んだら本当に暗かったので、明るい時に来直そう。こちらも、古い通りらしく、陶器の店や寝具の店などが並んでいました。

まとめ

じゅん散歩で歩いた東向島・曳舟。

江戸時代からの伝統が息づき、多くの文人が愛した町。永井荷風の名作『墨東綺譚』の舞台でもあります。今も活気にあふれる和菓子天国!

じゆん散歩は、神社、和菓子、料亭とのコラボパン、工芸を取り上げていて、見ごたえありました。

街の中に見どころが多すぎて、半日では全然歩ききれませんでした。食べ物も気になるものが多すぎて、何度も散歩したい町です。

じゅん散歩を見て、興味をもった方は、ぜひお散歩してみてください。

私は、向島百花園についても、こんな記事も書いています。ぜひごらんください。

●「向島百花園 萩のトンネル見に行った!ランチや駅からのアクセスもご紹介」
向島百花園 萩のトンネルを見に行った

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