柴又七福神2025行きました!色紙・御朱印・マップはどこで?見どころ紹介

町散歩

2025年1月15日(水)に「柴又七福神めぐり」に行ってきました。

帝釈天と寅さんで有名な柴又。帝釈天周辺は、一年を通して観光客でにぎやかです。

七福神めぐりのコースの多くは、住宅地の中に佇む静かなお寺。多くのお寺が江戸時代より前の創建で、古くから栄えた町であることを感じました。

七福神については、それぞれにいわれのある神様が、本堂の中に大切にまつられていました。ご開帳期間は、お寺により異なります。

最後に訪れた帝釈天のあとは、参道のお店で名物草だんごをいただき、とても満足!

この記事では、「柴又七福神めぐり」の
・概要
・アクセス 色紙・マップ・御朱印の入手
・柴又七福神めぐり体験記 
などをまとめました。

七福神めぐりとは?

七福神とは、日本で、福をもたらすとして信仰されている神のことです。室町時代に、京都の庶民の間に「福の神信仰」が生まれて、全国に広まったそうです。江戸時代には、正月の初詣もかねて七福神もうでが大流行。七福神の顔ぶれも、現在と同じ 恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋尊・福禄寿・寿老人となりました。
七福神を参拝することには、不老長寿・商売繁盛・五穀豊穣・家内安全などのご利益があるとされています。

東京の七福神めぐり

東京には、多くの七福神めぐりのコースがあります。
江戸時代からの伝統がある「谷中七福神」「元祖山手七福神」から、平成になってからの「多摩川七福神」など、はじまった時期はさまざまです。
歩く距離は、コンパクトな「日本橋七福神」で3キロほど、最長の「板橋七福神」で11キロほどになります。距離が長いコースの場合は、2日に分けたり、交通機関をうまく使うのがおすすめです。

七福神めぐりが行われる期間もコースによって異なります。七福神の神様が開帳され(ご本尊にお参りできる)、御朱印の対応をしてもらえる時期が異なるのです。
多くの七福神めぐりでは、時期はお正月や1月に限られますが、通年のところもあります。

七福神の神々

恵比寿(えびす)商業、漁業、農業の神。鯛を持ち、釣竿を担ぐ姿が特徴。
大黒天(だいこくてん)富、豊穣、食物の神。大きな袋を背負い、打ち出の小槌を持つ姿が特徴。
毘沙門天(びしゃもんてん)戦い、勇気、財宝の守護神。甲冑を着て、宝塔と矛(ほこ)を持つ姿が特徴。
弁財天(べんざいてん)音楽、芸術、知恵、財運の女神。琵琶を弾く姿が特徴。
福禄寿(ふくろくじゅ)幸福、財運、長寿の神。長い頭と白い髭が特徴。
寿老人(じゅろうじん)長寿、健康、福徳の神。白髭の老人で、杖と巻物を持つ。
布袋(ほてい)笑い、幸福、豊かさの神。大きなお腹と満面の笑み、大きな袋を持つ姿が特徴。

柴又七福神めぐりの概要

御朱印受付(期間1月1日~31日 9:00~16:00
※寺社などで配布されている「柴又七福神マップ」記載の情報
御朱印色紙配布宝生院良観寺観蔵寺医王寺題経寺<帝釈天>万福寺真勝院
※1枚300円。
七福神大黒天 宝生院(ほうしょういん)御開帳の期間:1月1日から1月7日
布袋尊  良観寺(りょうかんじ)
御開帳の期間:1月1日から1月7日
寿老神 観蔵寺(かんぞうじ)
御開帳の期間:1月1日から1月15日
恵比寿天 医王寺(いおうじ)
御開帳の期間:1月1日から1月7日
毘沙門天  題経寺(だいきょうじ)<帝釈天>
:1月1日から1月7日
福禄寿  万福寺(まんぷくじ)
御開帳の期間:1月1日から1月31日
弁財天 真勝院(しんしょういん)
御開帳の期間:1月1日から1月7日
※寺務所などで200円を納め、スタンプを押していただく
※御開帳期間は、葛飾区HP”柴又 七福神めぐり”記載の情報
マップ配布宝生院良観寺観蔵寺医王寺題経寺<帝釈天>万福寺真勝院
京成高砂駅 柴又観光案内所(※私が確認した範囲です)
医王寺HPにも掲載

柴又では、七福神様は本堂の中にひっそりとまつられています。
私が訪問した1月15日時点では、御開帳期間が過ぎていても、七福神のお参りができるお寺もありました。御朱印をいただく時に、お尋ねするといいかと思います。

「柴又七福神めぐり」へのアクセス・御朱印色紙・マップ入手

「柴又七福神めぐり」では、回る順序は自由です。御朱印色紙は、どのお寺でも購入できます。
「柴又七福神めぐりマップ」は、七福神のすべてのお寺に設置されていた他、京成高砂駅 柴又観光案内所にもありました。

「柴又七福神めぐり」に参加しているお寺は、京成高砂駅付近に1か所、新柴又駅付近に2か所、柴又駅付近に4か所です。3つの駅は、三角形を描くように位置しています。

京成高砂駅付近→新柴又駅付近→柴又駅付近 と回るか、柴又駅付近→新柴又駅付近→京成高砂駅付近と回るのが一般的かと思われます。

私は、新高砂駅からスタートし、新高砂駅でマップを入手し、近くの観蔵寺で色紙をいただきました。その後、新柴又付近の2つのお寺、柴又駅付近の4つのお寺を回り、ました。
この回り方だと、最後の4か所が近くに固まっているので安心感がありました。全部回ったあとに帝釈天の参道のお店でスイーツをいただけるのも魅力です。

新高砂駅から、観蔵寺までのアクセスを、写真でご紹介します。

●観蔵寺:京成線 新高砂駅から300m

2025年1月15日12時前に新高砂駅に着きました。この時期にしては暖かく晴れ時々曇り。七福神めぐり日和です。

新高砂駅の改札外には、観蔵寺への矢印の隣に、「柴又七福神めぐりマップ」と、「かつしか柴又マップ」がありました!
喜んで、両方をいただきました。
「柴又七福神めぐりマップ」は嬉しいことに、「お寺の入口」が書かれているんです。
お寺って、どこから入るかわからずに周りをぐるっと回ってしまいがち。入口の表記は助かります。

駅から出たら、また矢印が。京成線の線路に沿って歩き始めます。

商店が並んでいたところをすぎて、住宅街へ。

線路ぎわから右折すると、また矢印が。観蔵寺の周りを歩いていくと。

観蔵寺の入口に着きました。京成高砂駅から徒歩3分。
親切な矢印看板のおかげで、簡単に到着しました。
びっくりするくらい電車が近い!

観蔵寺で、御朱印の色紙を購入して、七福神めぐりをスタートしました。。

柴又七福神めぐり体験記

ここからは、私が撮った写真で柴又七福神めぐりの体験をお伝えします

観蔵寺 寿老人

線路の近くにありながら、一歩中に入ると、おだやかな空間が広がります。手入れのされた木々が美しいお寺です。
真言宗豊山派で、1469年創建。1653年再興のお寺です。1469年って・・室町時代ですね。

本堂の前には、寿老人の石碑がありました。
御開帳の期間は、1月1日から1月15日。本堂の中の寿老人にお参りしました。

寺務所で、色紙を購入して、御朱印をいただきました。色紙は300円です。

観蔵寺~医王寺

柴又七福神めぐりの中で、一番距離があるのが観蔵寺~医王寺間で、1.8キロあります。
京成高砂駅ー新柴又駅間を、北総線に乗ればあっという間に着きそうですが、散歩好きな私は歩いていきます。

一旦京成高砂駅まで戻ります。

交番と不二家が並ぶ京成高砂駅前通りを北の方へ。

「高砂」の駅名の由来がおもしろい。
もともとは、曲金(まがりかね)という地名だったそうです。
一方、明治時代に地区の小字名を付けた時に、謡曲から縁起のよい名前をつけていました。
その後、明治22年ごろ「曲金よりもっと縁起のいい名前を」という話になり、小字の中で最もよい「高砂」になったのだそう。

お客さんが何人も集まっているお店「伊勢屋」を発見。
昼食を取らないまま歩きだした私は、引き寄せられました。
大きなショーウィンドウには、おにぎり、のりまき、揚げ物やお惣菜。
思わず購入しました。

おこげのおにぎりと、ハムカツ。おにぎりが、不定形というかふわっとにぎってあるのが特徴。途中公園でいただきました。おいしい!
帝釈天付近以外は、お店の少ないコースなので、貴重なお店でした。

あとから調べると、「伊勢屋餅菓子店」という名前の人気店で、お弁当も和菓子もおいしいみたいです。

伊勢屋餅菓子店の角を曲がって、「さくらみち」を歩きます。
かつて江戸から佐倉に通じる街道として栄えていた佐倉街道でもあります。現在は、桜の花が美しいことでも知られる通りです。

京成金町線の踏切りを通ります。京成高砂駅から柴又駅に行く時に乗る路線です。

写真の中学校は桜道中学校。
さくらみちは、歩道もしっかりあって、とても快適に歩けます。

新柴又駅に近づくと、桜の並木道になりました。周囲は、新しい住宅やマンションが増えてきました。
写真で見えているのが高架の北総線。

北総線の高架に沿って歩いていくと、新柴又駅に着きました。

新柴又駅前には、花壇のあるロータリーがありました。

北総線のガードに沿ってまっすぐな道が伸びていて、遠くに江戸川が見えています。

北総線のガードをくぐるとまた矢印が!
この矢印と、スマホの地図の道案内がちがっていて、スマホを信用した私はお寺の周りを大回りすることになりました。矢印を信じるべきでした。

無事に医王寺につきました。私のように大回りをしなければ、新柴又駅から200mくらいです。

医王寺 恵比寿天

山門が立派で、振り返って写真を撮りました。

山門の2階にはこのような像が!

山門前の看板によると、医王寺は仁和寺の観見(かんけん)により1407年に建立されました。「当時下総国で流行した赤目病平癒の祈願のため、足利義満の命により建立された」と書いてありました。本尊は薬師如来像です。

恵比寿天の御開帳は、1月1日から7日までですが、それ以外の期間も本堂でガラスごしに参拝することができます。お参りして、御朱印をいただきました。

恵比寿天は、医王寺中興の祖「源珍僧都」が安置したものです。「源珍が行脚中、蕎麦練りを作ろうと渓流に立ち入った際砂金を見出した」との逸話があることから、昭和の初期から中期には多くの蕎麦店から篤い信仰を集めました。

最初の観蔵寺に続き、室町時代創建の歴史あるお寺でした。

宝生院 大黒天

医王寺から新柴又駅近くまで戻り、新柴又駅から北に向かう住宅地の中の道を進むと、あっという間に宝生院に着きました。医王寺からは、300mくらいです。

「出世大黒天」と書かれた立派な看板を見つつ中へ。

本堂の前に大黒天の像が二体。しかし、御朱印をいただく時に尋ねると、七福神の大黒様は本堂の奥まったところにいらっしゃるそうです。ご開帳期間は、1月1日から1月7日ですが、扉を開けて見せていただきました!とても立派でした。

この宝生院は、1624年常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近に創建。何度かの移転を経て、昭和2年に現在地へ移転。大黒天は、江戸期から信仰を集めていたと伝えられます。

宝生院~万福寺

宝生院から万福寺へは600m。引き続き、住宅街の道を北上します。

曲がるべきところには看板が立っていてありがたい。

この看板が立っているのは暗渠みたい。多分、柴又用水です。1835年に開削され、この地区の農業の発展に役立ったといいます。
住宅地の中に、もとは農家だったと思われる広い旧家がありました。江戸に近い柴又では、野菜や米を生産していたようです。

無事、満福寺に到着しました。

万福寺 福禄寿

万福寺は、昭和3年創建の曹洞宗の寺院。ご本尊は釈迦牟尼佛です。山門を入ると、赤い前掛けをした石像が並んでいるエリアがありました。

福禄寿の御開帳期間は、1月1日~7日までです。こちらの福禄寿は、個人宅(宍戸家)に伝えられていた神さまだそうです。

本堂の右奥には、110体の弘法大師石像が安置されています。御朱印をいただく時に聞いたのですが、もとは小山を取り囲むようにあったものを、小山がなくなったので、今のようにまつっているそうです。親切に教えていただきました。寺務所にかつての写真も貼られていました。

山門が立派です。建物も庭も美しいお寺でした。

万福寺~真勝院

万福寺から500mほど歩いて、真勝院に向かいます。
万福寺からは、「寅さん記念館・山田洋次ミュージアム」や、庭園や近代和風建築で知られる「山本亭」も近くです。今回は、時間的に立ち寄る余裕がありませんでしたが、いつか行ってみたいものです。

にぎわっているな柴又帝釈天・題経寺を一旦通りすぎます。

柴又帝釈天に沿った道を歩いていくと、真勝院が見えてきました。

この道は、「国分道(こくぶみち)」と呼ばれた古道で、最初に集落ができた所だったようです。
インターネット上で読むことができる「葛飾柴又の文化的景観」には、下のように書いてありました。

・柴又は、海抜3m程度の微高地で、古墳時代後期には集落が形成されていた。
・国分道は、江戸川対岸の下総国府や国分寺につながる道である。
・江戸時代に江戸川が現在の流れになるまでは、柴又は下総国に属していた。

このあたり、江戸川も近く、古道も通っていて、交通の要衝だったのですね。

真勝院 弁財天

真勝院に着きました。

808年の創立と伝えられますが、開創の由来や開山等の名は明らかでないお寺。808年って、奈良時代?
江戸時代には付近の柴又八幡宮の別当寺でした。

長い参道には、葛飾区文化財指定の「五智如来石像」が。柴又村名主済藤次良衛門等が造立したものだそうです。

本堂は昭和47年につくられたもの。
弁財天の開帳期間は1月1日から1月7日です。こちらの弁天様は、8本の手に弓や剣を持つ、「八臂弁財天像」だそうです。

寺務所で御朱印をいただきました。サザンカか椿が咲いていて、庭がきれいなお寺でした。

真勝院~良観寺

真勝院から良観寺までは400m。良観寺は、京成金町線沿いにあります。

私は少しだけ遠回りして、柴又八幡神社へ。6世紀から7世紀に築かれた前方後円墳上に鎮座しています。お参りしてみましたが、明らかな山があるわけではありませんでしたが、社殿の下には石室が復元保存されているそう。

境内には、「柴又用水」の碑が。

良観寺近くでは、京成金町線の向こうに、「金町浄水場」が。
大正15年開設の浄水場です。

良観寺が見えてきました。踏切の前なのですね。京成金町線沿いには、柴又街道が通っています。新柴又駅から、ほぼ直線でここまで通っている道です。

良観寺 布袋尊

良観寺の創建年代は不明ですが、室町時代末期から江戸時代前期に念仏堂が建立されたのがはじまりだそうです。

赤い前掛けをしたお地蔵様がたくさん!

本堂でお参りして、御朱印をいただきました。
ご開帳期間は、1月1日から7日までとのことでした。

良観寺には、「願掛け宝袋尊像」があります。大きなお腹に両手を当てて、お願いをするのだそう。
ここには、七福神の宝袋尊についての説明看板もありました。

江戸時代の初期に、商人が都からの帰りに山中で道に迷った。
民家だと思って一夜を過ごしたのが大木のうろの中。その奥の布袋尊像を持ち帰り、おまつりすると、商売繁盛した。
このご利益をお役に立てたいと、良観寺に奉納した。

題経寺<帝釈天> 毘沙門天

参道を通って、有名な「題経寺<帝釈天>」に戻ってきました。写真に見えているのは、総檜造りの二天門。明治29年(1896年)に江戸時代からの名匠によって造られました。

もともと交通の要衝であり、江戸に近くて野菜などを生産していた柴又に、1629年に帝釈天が創建。正式名称が「経栄山 題経寺」である日蓮宗の寺院です。
1779年に、行方不明だった「板本尊」が発見されたのを機に、江戸市中や近隣の信仰を集めるようになりました。
柴又に通じる「帝釈道」が通り、参道には店が並び、大正元年には京成電気鉄道柴又駅が開業。

この鐘楼も見事で、見とれてしまいました。
1955年につくられた総欅の大鐘楼で、「男はつらいよ」にも、鐘楼の場面がありますね。

松の枝がどこまでも伸びています。
柴又帝釈天の庵を作った日栄上人は、柴又で、立派な枝を持つ松とその下に霊泉を見つけて、庵を開いたと言われます。その「瑞龍のマツ」がこれなんですね。東京都指定天然記念物です。

帝釈堂にお参りして、中に上がって御朱印をいただきました。七福神の毘沙門天は、1月1日~7日の御開帳です。

帝釈堂の横手から裏にかけて、「彫刻ギャラリー」と庭園があります。私は前に訪問しましたが、どちらも見事です。

帝釈天参道

七福神めぐりを終えると、午後3時。
帝釈天参道を歩きます。

川魚や鰻、天ぷらといった料理、草だんごや煎餅、漬物のお店がずらりと並ぶ参道。1月15日の平日といえ、なかなかのにぎわいです。

私は、「高木屋老舗」店内で草だんごをいただきました。

草だんごは、串にささったものが2本。七福神めぐりでよく歩いたあとで、美味しさが染み渡りました。
店内がとてもきれいで、丁度良い混み具合。ゆっくりできました。

柴又七福神めぐりの最後は、風情のある帝釈天参道で楽しみたい!

以前訪問した「大和家」でいただいた、天丼と「草だんご」も美味しかったので、
これからも参道のいろいろなお店に行ってみたいな。

柴又七福神めぐり まとめ

2025年1月15日(水)に「柴又七福神めぐり」に行ってきました。

七福神めぐりのコースの多くは、住宅地の中に佇む静かなお寺。多くのお寺が江戸時代より前の創建で、古くから栄えた町であることを感じました。

七福神については、それぞれにいわれのある神様が、本堂の中に大切にまつられていました。ご開帳期間は、お寺により異なります。ひっそりと静かにまつられているので、御朱印をいただく時に尋ねてみるといいかもしれません。

大変有名な観光地でもある柴又帝釈天が含まれていることが、このコースの大きな特徴です。ここを最後にくるようにして、柴又帝釈天のすばらしい建築物や庭園、参道のグルメなどを楽しむのがおすすめです。

すべての七福神のご開帳期間にもう一度行ってみたいな、と思っています。
柴又七福神めぐり、おすすめです!





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