アクセサリーミュージアムに行ってきた!祐天寺からのアクセスと展示、ショップや教室をご紹介

町散歩

猛暑や大雨、すごく寒い日。そんな時でも、散歩は止まらない!

2024年の暑かった夏、都内にある、駅から5分くらいの美術館・博物館をいくつか訪問しました。
この記事では、その中から、アクササリーミュージアムを紹介します。
個人宅をリフォームした素敵な建物、「アクセサリーミュージアム」という名前から想像したのとは違う個性的な展示物の美術館、祐天寺の素敵な町、と素敵なところが三拍子そろった美術館でした。

アクセサリーミュージアム 基本情報

2024年9月現在の基本情報は、こちらになります。

観覧料:1000円
開館時間:10:00〜17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日、第4・5日曜日、夏季・冬季(ホームページでご確認ください)
最寄り駅:祐天寺駅

祐天寺駅からアクセサリーミュージアムまで歩いてみた!

事前に調べたところでは、アクセサリーミュージアムは、東横線の祐天寺駅から数分のところあります。

私は、初めて祐天寺駅にで降りました。

祐天寺駅東口を出ると、花屋と、ケーキ・パンの店シェ・リュイが並んでいました。

駅前の道を西に。この日も気温は35℃くらい。

上目黒小学校の角を曲がります。

素敵な校舎の学校でした。窓の形が面白い!英語表記の表札があるのも、珍しくない?

上目黒小学校の裏手を西に。向こうに下り坂が見えます。
暑いけれど、落ち着いたいい感じの道なので、楽しく歩いていきます。
嬉しいことに、電柱には「アクセサリーミュージアム」の看板があって「すぐ先右入る。突当り左折」の矢印も付いてます。心強い!

突当りを右に入ります。生垣もおうちも素敵な家を左に見つつ、前へ。このあたり、昔ながらの木造の立派な建物が何軒かありました。

駐車場のところを左に曲がると、こんな道でした。この道にも、「アクセサリーミュージアム」の看板がついた電柱が何本もあって、道案内してくれていました。

何の看板もないけれど、暗渠っぽい道。このあたりは、蛇崩(じゃくずれ)川支流が流れていたらしい。さっきの坂道もこの川関係かな。

最後の「アクセサリーミュージアム」を見ながら、少し坂を上ります。立派な家ばかりになってきました。

アクセサリーミュージアム エントランス

着きました!

私はついキョロキョロして時間がかかるのですが、さっさと歩いたら、祐天寺駅から7分というところでしょうか?
道が起伏に富んでいて、周りの住宅街も素敵なので、楽しく歩ける道でした。
電柱の道案内にも助けられました。

エントランスへ。

玄関です。

中庭です。よい住宅街のモダンな豪邸がミュージアムになっている、という感じです。

アクセサリーミュージアムの由来 

入園料1000円を払って中へ。写真撮影可のミュージアムです。

受付でミュージアムのことを少し教えていただきました。このミュージアムは、宝石のメーカー・ベンダーであった田中美晴・元子夫妻の個人宅を使ったミュージアムだそうです。
日本人が海外に行くことが少なかった1960年より前に、欧米にたびたび渡って、さまざまなものを取り入れてきた方だということでした。「自宅を改装したミュージアムの雰囲気も楽しんでくださいね」と言っていただいて、中へ。

館内の展示によると、ミュージアムの建物の持ち主だった田中家は、職人やデザイナーとの打ち合わせ用サンプルとして、国内外のコスチュームジュエリーのコレクションを始めたのだそう。2010年に、コスチュームジュエリーについて伝えるために、アクセサリーミュージアムが設立されました。

コスチュームジュエリーを集めたミュージアム

玄関につながる展示室は、こんな素敵な眺めです。

アクセサリーミュージアムは、「欧米や日本のコスチュームジュエリーを、時代ごとに括って展示したミュージアムだ」と、パンフレッットには書いてありました。

コスチュームジュエリーって、聞きなれない言葉です。パンフレットや、館内展示を見ると、このような説明が。

「貴金属や宝石など高価な材料で作るたファインジュエリーとは区別されるもので、ファッション性を重視し、素材を問わずに作られた装身具のことを指します」「材質に価値があり受け継がれるファインジュエリーと違い、流行の形を重視したコスチュームジュエリーは、ほとんどが消えてしまいます

宝石が展示されているミュージアムかと思っていましたが、むしろ楽しそう!時代順に展示室を回ることにしました。

アクセサリーミュージアムの展示室

展示室は、ヴィクトリアンの時代、アールヌーボーの時代、アール・デコの時代、オートクチュールの時代、プレタポルタの時代、アバンギャルドの時代に分かれています。

アール・ヌーボーの時代の展示室にあったバックルです。「19世紀から20世紀初頭にかけて、自然と日本芸術を源泉とした芸術運動がアール・ヌーボー」との解説。
写真は、1900年のフランスのバックルとのことでしたが、確かに日本のものみたい。

玄関から見えていた「アール・デコの時代」の展示室にに戻ってきました。1925年の「パリ万国装飾博覧会」を最盛期として流行したデザインだそうです。
女性の社会進出や、交通機関の発達で、活動しやすいシンプルなデザインが好まれた時代ということでした。
奥に飾られていたドレスなんて、今でも大喜びで喜んで着たいデザインです。

アール・デコの時代の、ベークライトでできたアクセサリーです。
ベークライトは、1907年にベークランドが生産化に成功した初期の合成樹脂でモダンな形が生まれたが、もっと安いプラスチックが生まれて生産は減少していったと書かれていました。

なんだか切ないけれど、デザインといい色といい大好き!

上の写真の左の方は、セルロイドのアクセサリー。セルロイドは、19世紀後半に開発されたプラスチック。「半透明で微妙な色合いが表現できるので、あらゆる素材に似せることが試された」とあります。
その後、熱に強くて丈夫なプラスチックが現れたため衰退したそう。切ない。でも、美しいです。

真ん中は、「プレキシグラス」といい、ガラスに代わって戦闘機に使うために作られたもの。

右側は、アクリル樹脂のアクセサリー。アクリル樹種は、今でも元気に活躍中。

昔、プラスチック関係の仕事をしていたので、このコーナーにはくぎ付け。生まれては消えていく技術が切ないなあ。でも何かの足跡を残したのですよね。ここに展示されていてよかった。

ミュージアムの建物も楽しみながら2階へ。

2階の「オートクチュールの時代」の展示室へ。
第二次世界大戦後の時代のものです。アメリカでは、力強い作品が生み出されました。また、パリのクチュール界で生み出されたパリモードが、それまで耐乏生活を送っていた女性を魅了したそうです。

上の写真は、1940年代のアメリカのブローチ。「映画や音楽に影響されて独自のファッションを育てた」とあります。

1950年代と書かれたコーナー。左奥のスーツは、昭和ひとけた生まれの母のアルバムで見たようなファッションです。

最後の展示室は、地下にありました。プレタポルテの時代(1970年代)、アヴァンギャルドの時代(1980年代~1990年代)の展示室。

プレタポルテの時代(1970年代)は、「ヤングファッションが主役となり、ストリートからも流行が形成された時代。アバンギャルドの時代(1980年~1990年代)は、日本ではインポートブランドとファッションデザイナーの時代。ボディコンブームもこの時代」と説明がありました。

ヒッピー、アングラのファッション。1967年~1974年ごろ、イギリス、アメリカ、日本で流行したそうです。

「1987年、バブル時代のイケイケ風アクセサリー」と説明書きがありました。
イケイケでもフランスのアクセサリーはなんだか上品。

このコーナーは、年代的には私の若いころにあたるのですが、あまりにも流行の最先端すぎて「そうそう、これこれ!」というのはあまりなかったです。地味な若者時代を送ってしまったということでしょう。

いくつかの部屋をめぐっただけで、19世紀から20世紀終わりまでを、一気にめぐった感じでした。

アクセサリーミュージアム ミュジアムショップ

最後に、ミュージアムのショップを見ました。こちらでは、ヴィンテージのアクセサリー、現代のトレンドに合ったコスチュームジュエリー、アクセサリーのパーツや図録などを販売しています。

ショップに続いた部屋では、アクサセリー教室が開催されていました。10人くらいの方が、自分のアクササリーを作っていて、なんだかすごく楽しそうでした。

入口の地図をいまさら眺めました。素敵な地図!

アクササリーミュージアムから祐天寺駅まで

祐天寺駅への帰り道で、また暗渠らしい道を眺め。

ちょっと違う道を通ったら。坂の標識がありました。字が読めません。

あとで調べたら、このあたりにあるのは謡坂(うたいざか)らしい。(そういわれても読めないのですが・・)目黒区のHPには、古老の田中守太郎さんの話としてこんな話が載っていました。

・この辺には、昔は何もなく、畑とナラ林だけ。震
・震災の後だったか、坂のわきに16軒長屋が建って、人が住み始めた。そこの人たちが、「坂に何か名をつけよう」ということで「うたい坂」とつけた。
・この坂に、長唄か踊りを教える人がいたなんて話も聞いたことがあった。

目黒区HPより引用

祐天寺駅まで戻ってきたら、駅前のジェラート店が大繁盛していました。
ジェラテリア アクオリーナというの店で、日に寄ってラインナップが変わる、大変おいしいお店みたい。帰ってきてから、いけばよかったなーとおもんですね。

祐天寺駅西口のガード沿いにこんな景色が。
ガード下を回り込んでみると、植木と石の大きな造園業らしかったです。

祐天寺駅東口は、こんな感じで繁栄していました。こちら側も楽しそうなのですが、スマホのバッテリーも無くなり、この日は引き上げることにしました。

アクサセリーミュージアム アクセサリー教室

家に帰ってから、アクセサリーミュージアムのサイトを見ると、アクセサリー教室について書かれていました。あんなに楽しそうな教室、これは人気があるでしょう!

・コスチュームジュエリーを作ってみたい人を対象に、商業製品としてのコスチュームジュエリーの企画制作を行ってきた館長をはじめとした講師が少人数で指導する。

・未経験でも参加できる。プロの人も、はじめは基礎講座から受講する。

・材料は教室側で用意してくれる。

・参加希望者は、事前電話予約で先着順。

・レッスン時間は、13:30~16:30。レッスン料金6,000円+消費税(基本材料費込。作品は持ち帰り)

・8月は、3回開催。9月は9回開催。単発開催。

アクサセリーミュージアム館長 田中元子さんについて 

アクセサリーミュージアムの建物の持ち主であり、館長でもある田中元子さんのインタビュー記事を見つけました。ウェブマガジンZIELに掲載されている「アクセサリーミュージアム館長・田中元子さんに聞く設立秘話」です。

田中さんは、アクセサリー企画工場を営むお父様のもとで、中学生のころから職人さんに交じってアクセサリーを手伝っていたそうです。

お父様の会社のアクサセリー工房を引き継ぎ、自分が企画したブローチが売れるのを見たりするうちに、面白さにめざめ、映り替わるわるファッションに合ったアクセサリー作りをしてきました。

合った初めて海外に買い付けに出たのは、1969年。前年に外国を訪問したお父様から、外国に放り出されるようにして、ご主人とともに20日間ヨーロッパを旅しました。当時は、持ち出せる金額も少なく、英語も話せず苦労したそうです。

アクセサリーミュージアムを立ち上げたのは、「若い職人にでてきてほしい」という想いからだそうです。1990年ごろから、昔からの職人の高齢化や、加工を海外で行うことが増えました。その結果、技術が残らなかったり、面白いデザインのものがなくなったり、という状況を見て、ミュージアムを作ることを決心されたそうです。

アクセサリーミュージアム まとめ

アクセサリーミュージアムは、「アクセサリーってすごく幅広いんだ」と感じさせてくれるミュージアムでした。回っているうちに、欧米や日本のファッションの歴史を見ることができて、建物自体も素敵でした。
私的には、蛇崩川暗渠が顔をだす祐天寺の町も、魅力的でした。

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