2025年1月4日(土)に「千寿七福神めぐり」に行ってきました。北千住駅近くで行われる七福神めぐりです。
日光街道の宿場としてにぎわった千住。七福神めぐりは、町おこしのために近隣の寺社に七福神の石像を安置したことが始まり。2007年に現在のコースに整備されました。
宿場町らしい町並みもあり、各神社でのおもてなしや特色もありの七福神めぐりです。歩く距離は5~6キロありますが、それを感じさせない楽しさでした。
比較的混雑するのは、氷川神社・仲町と千住本氷川神社です。私が七福神めぐりをした1月4日(土)は、比較的混雑が落ち着いていて、御朱印のスタンプは長くて10分待ち程度。快晴の中、快適に回ることができました。
この記事では、「千寿七福神めぐり」の
・概要
・アクセス 色紙・マップ・御朱印の入手
・千寿七福神めぐり体験記
などをまとめました。
七福神めぐりとは?
七福神とは、日本で、福をもたらすとして信仰されている神のことです。室町時代に、京都の庶民の間に「福の神信仰」が生まれて、全国に広まったそうです。江戸時代には、正月の初詣もかねて七福神もうでが大流行。七福神の顔ぶれも、現在と同じ 恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋尊・福禄寿・寿老人となりました。
七福神を参拝することには、不老長寿・商売繁盛・五穀豊穣・家内安全などのご利益があるとされています。
東京の七福神めぐり
東京には、多くの七福神めぐりのコースがあります。
江戸時代からの伝統がある「谷中七福神」「元祖山手七福神」から、平成になってからの「多摩川七福神」など、はじまった時期はさまざまです。
歩く距離は、コンパクトな「日本橋七福神」で3キロほど、最長の「板橋七福神」で11キロほどになります。距離が長いコースの場合は、2日に分けたり、交通機関をうまく使うのがおすすめです。
七福神めぐりが行われる期間もコースによって異なります。七福神の神様が開帳され(ご本尊にお参りできる)、御朱印の対応をしてもらえる時期が異なるのです。
多くの七福神めぐりでは、時期はお正月や1月に限られますが、通年のところもあります。
七福神の神々
恵比寿(えびす) | 商業、漁業、農業の神。鯛を持ち、釣竿を担ぐ姿が特徴。 |
大黒天(だいこくてん) | 富、豊穣、食物の神。大きな袋を背負い、打ち出の小槌を持つ姿が特徴。 |
毘沙門天(びしゃもんてん) | 戦い、勇気、財宝の守護神。甲冑を着て、宝塔と矛(ほこ)を持つ姿が特徴。 |
弁財天(べんざいてん) | 音楽、芸術、知恵、財運の女神。琵琶を弾く姿が特徴。 |
福禄寿(ふくろくじゅ) | 幸福、財運、長寿の神。長い頭と白い髭が特徴。 |
寿老人(じゅろうじん) | 長寿、健康、福徳の神。白髭の老人で、杖と巻物を持つ。 |
布袋(ほてい) | 笑い、幸福、豊かさの神。大きなお腹と満面の笑み、大きな袋を持つ姿が特徴。 |
千寿七福神めぐりの概要
千寿七福神めぐりは、2007年に整備されました。神社のみを巡るのが特徴です。
御朱印受付(期間) | 1月1日~7日 9:00~16:00 ※寺社で配布されている「千寿七福神」マップ記載の情報 |
御朱印色紙配布 | 千住本氷川神社 、大川町氷川神社、 元宿神社、千住神社、八幡神社、稲荷神社、氷川神社 ※1枚2,000円。 |
七福神 | 大黒天 千住本氷川神社 布袋尊 大川町氷川神社 寿老神 元宿神社 恵比寿天 千住神社 毘沙門天 八幡神社 福禄寿 稲荷神社 弁財天 氷川神社 ※社務所などで200円を納め、スタンプを押していただく |
マップ配布 | 千住本氷川神社 、大川町氷川神社、 元宿神社、千住神社、八幡神社、稲荷神社、氷川神社 千住街の駅 足立区立中央図書館(※まだあるかも!) |
「千寿七福神めぐり」へのアクセス・ご朱印色紙・マップ入手
「千寿七福神めぐり」では、回る順序は自由です。御朱印色紙は、どの神社でも購入できます。
「千寿七福神めぐり」マップは、すべての神社に設置されている他、観光案内所や図書館にも設置されていました。町ぐるみで行われているようです。
「千寿七福神めぐり」に参加している神社は、北千住駅周辺に、輪を描くように分布しています。
北千住駅の北にある千住本氷川神社から左回りで、または北千住駅の南にある氷川神社から右回りで回るのが一般的です。
私は、北千住駅からスタートし、千住街の駅でマップをもらい、千住本氷川神社からスタートしました。千住街の駅では、混雑状況を教えてもらえたのがよかったです。
この回り方だと、最後の4か所が駅近くに固まっているので、安心感がありましたよ。
千住街の駅を通って、千住本氷川神社までのアクセスを、写真でご紹介します。
●千住街の駅:JR・東武線・東京メトロ 北千住駅から600m
●千住本氷川神社:JR・東武線 北千住駅から700m
2025年1月2日12時30分に北千住駅に着きました。気温は8℃で快晴。お散歩日和です。
北千住駅前にはマルイが建っています。
きたろーど1010を歩きます。アーケードの商店街、なかなか混んでいます。
宿場町通りに入ります。旧日光街道に面していて、宿場町として栄えた面影があります。当時の面影を感じる建物もいくつか残っています。
行列がでいているラーメン店など新しいお店もあって活気のある通りを歩きます。
千住街の駅に着きました。目立つ所に千寿七福神のマップがあったので、いただきました。
黄色い法被のスタッフの方に、七福神の混雑具合を聞いてみました。
「元日に比べると、今日(1月4日土曜日)はだいぶ落ち着いてますよ」と教えていただきました。元日はずいぶん混雑したようです。
店内には、他にも町歩きのパンフレットがありました。
とても親切で情報も集まっている千住街の駅、ここでマップを入手するのがおすすめです。大千住マップも詳しくておすすめです。
宿場町通り商店街を左に折れると、千住本氷川神社が見えてきました。
こちらで、色紙をいただいて千寿七福神めぐりをスタートしました。
千寿七福神めぐり体験記
ここからは、私が撮った写真で千寿七福神めぐりの体験をお伝えしていきます
千住本氷川神社 大黒天
千住本氷川神社の境内は、にぎわっていました。元日は参拝の行列があったようです。
参道の正面に大黒天が祀られています。こちらが旧社殿だそうで、重厚な建物です。
両側に米が俵で奉納されていました。
参拝者はとぎれることはありませんが、行列などはありませんでした。
本殿にお参りして、白いテントで七福神めぐりの色紙をいただきました。御朱印もここでいただけます。
千住本氷川神社には次のような由緒があります。
1307年(鎌倉時代)に千住曙町にが創設された。
千住が宿場町として栄えはじめた江戸時代初めに、地元有志により、現在地に分社が造営された。
荒川放水路の開削によって、本社の牛田氷川神社が移転させられたため合祀。
本殿が昭和45年に落成。旧社殿は大黒様を祀るお宮として親しまれている。
千住本氷川神社~大川町氷川神社
次は、大川町氷川神社へ。
千住本氷川神社からは、1.2㎞の距離です。
千住本氷川神社から、再び宿場町通りへ。
宿場町に関係ある場所を見ながら歩いていきます。
千住ほんちょう公園には、門や説明板、地図などが置いてありました。私はベンチで軽食を。
七福神めぐりは、休憩とか昼食が結構むつかしいです。もっと早く到着して、北千住駅付近でランチをしてスタートがいいのでしょうね。
宿場町通り商店街では、シャッターにも雅な絵が描かれています。
江戸時代の紙問屋だった「横山家住宅」。宿場で馬を負担する「伝馬屋敷」の面影を残します。玄関の柱には、江戸から敗走してきた彰義隊が切りつけた傷が残っているそうです。
こちらは吉田絵馬屋。
絵馬、地口行灯に貼る絵紙、凧などを描いてきた際物問屋。地口絵紙は語呂合わせやダジャレを絵とともに描いたもの。
こちらも美しい建物です。
宿場通り商店街から、左に折れます。角にあった「和食板垣」も和洋折衷で素敵な建築でした。
安養院のある通りを歩いていきます。
足立区中央図書館がありました。
お手洗いを借り、ちょっと休憩。1月4日なので、今日からオープンしていました。七福神めぐりの貴重な休憩スポットかもしれません。
図書館入口の目立つ場所にも、七福神めぐりのパンフレットが。町ぐるみでやっているんですね。
日光街道のガード下をくぐります。
ちょっと左に折れると、大川町氷川神社です。
大川町氷川神社
こちらの神社、ライトがたくさん下がっていました。初詣のためでしょうか?
本殿にお参りしました。
布袋尊はこちらに。布袋尊は大らかなお顔がいいですね。花やお供えで大事にされていました。
布袋尊の隣のテントで、御朱印をいただきました。
後ろのテントには、甘酒のふるまいがありました。お代は気持ちでいいそうです。
アットホームなおもてなしが有難い。
大川町氷川神社には、富士塚もあります。大人も上っていたので、私も。
小さめな富士塚ですが、楽しい。
地元の方に、「はじめて?」と聞かれ、次の神社の道順も教えていただきました。アットホーム!
大川町氷川神社の歴史は次のとおりです。
1293年創建の神社。氷川、稲荷、浅間の三社からなり、別当寺は安養院。当初の場所が、大正時代に荒川の河川敷に指定されたため、現在地に移転。昭和43年に現本殿に落ち着いた。
富士塚は、1824年に築造。以前は町の西北の川田緑地に氷川、稲荷、浅間の三社とともにあった。2回の移転を経て、昭和43年現在地に復元された。
荒川は、大正時代に人工的に作られた川だといいますが、神社も引っ越しをしているんですね。富士塚も引っ越してきたと知って驚きました。
大川町氷川神社~元宿神社
元宿神社までは700m。
まずは、大川町氷川神社すぐ近くの荒川へ。
どうみても普通の川ですね。人工的に掘ったとは!
河川敷から振り向くと、スカイツリーも見えます。住宅地の細い道をまっすぐ歩ていきます。
銭湯の「タカラ湯」がありました。こちらの銭湯は、立派な銭湯絵や、「キングオブ縁側」と呼ばれる日本庭園で知られているそうです。
元宿神社の近くまでやってきました。
元宿神社についての説明看板がありました。このようなことが。
・この地は鎌倉時代には集落ができていた土地で、奥州路もここを通っていた。江戸時代に成立した「千住宿」に対して「元宿」と称していた。
・天正のころ、甲州から移ってきた人々により川田耕地などを開拓。八幡神が祭られた。
・明治末年、千住四丁目氷川神社に合祀されたが、昭和5年稲荷社を合祀して再び元宿の鎮守となった。
・荒川放水路の開削により、祖先が開拓した耕地は河川敷となり、土地を離れなくてはならなかった。
千住宿より前から栄えていた土地なのですね。ここまで訪れた3つの神社では、すべて荒川放水路の開削のことが書かれていて、この土地への影響の大きさを感じました。
花手水がありました。法被をきたたくさんの方がいて、お茶のサービスもありました。
本殿でお参りします。
寿老神には、「ぼけ封じ」の文字も。シクラメンやパンジーの鉢植えが飾られて、華やいでいます。お参りして、御朱印をいただきました。
八幡神の祠がありました。甲州から来た人々が祭った八幡神です。
元宿神社~千住神社
元町神社から千住神社までは1.2kmです。墨堤通りを通るのが最短コース。私は、大千住マップを見ていたら、商店街密集エリアがあったので、そちらを通って向かいました。
「千住ニコニコ商店会」「柳町仲通り電灯会」を抜けて「千住大門商店会街」へ。「おおもん」の文字が街灯に書かれています。大門商店街は、千住柳町に存在した花街の周辺にできた商店街のようです。
お客さんがひっきりなしの和菓子店喜田家を発見。店内で目移りしつつ、「足立姫」「東京1010」を買いました。箱入りの折詰めなどを買っていく方がたくさん来店していました。
あとで調べると、昭和30年創業で足立区を中心に多くの店舗を持つお店だとわかりました。
買ったお菓子はとてもおいしくいただきました。千寿七福神めぐりの中で、貴重なスイーツ購入スポットです。
大正通りに出ました。ニコニコ湯は、塩サウナやミニプール、元デザイナーの店主作成のグッズが評判の銭湯だそうです。外観からも楽しさが伝わります。
大正通りは、道幅は広く、車の交通量は少なく、快適に歩けました。
千住神社の裏に到着しました。
千住神社 恵比寿天
まずは本殿に参拝します。
大変大きな神社です。926年(平安時代)創建の千崎稲荷神社と、1279年(鎌倉時代)創建の氷川神社が、明治初期に合祀された西森神社が、大正時代に千住神社となったというのが由来です。
七福神は「願かけ恵比寿」。男性は左へ、女性は右に3回回し、願いの言葉を3回念じながら白いハンカチで3回なでるのが願掛け法です。お参りに時間がかかるので、小さな行列ができていました。白いハンカチも社務所で販売しています。
お参りして、社務所で御朱印いただきました。
「夫婦銀杏」(めおといちょう)として親しまれているイチョウの木。縁結びの象徴となっています。
千住神社にも富士塚がありました。この千住富士は、7月1日のみ参拝可能。宿場町であった千住には多くの富士講があったそうです。
千住富士の横には、冬に咲く桜でしょうか?
参道が長い!歴史ある神社で、将軍が鷹狩りにきたそうです。
ここで時間は14時半。御朱印の受付は16時まで。回ったのは4か所ですが、ここからは神社間の距離が近くなります。
八幡神社までは400mです。
八幡神社 毘沙門天
色紙を持った方が何人も歩いているので、流れに乗って八幡神社へ。
広い日光街道沿いにあります。
本殿でお参りしました。
源義家が奥州討伐に赴く際、隅田川の渡し場に白幡を立て、戦勝祈願したことにちなみ、「白幡八幡宮」とも呼ばれます。少し前に荒川を見ましたが。ここは隅田川の近くです。
毘沙門天にもお参りします。
社務所で御朱印をいただきました。
次の稲荷神社にまでは、日光街道沿いを300mです。
稲荷神社 福禄寿
稲荷神社に着きました。
キッチンカーでおでんを売っています。
立派な本殿には、赤い提灯?も飾られて華やかな雰囲気。
こちらの稲荷神社はこのような神社です。
・千住河原町の鎮守、江戸の三大市場で「やっちゃ場」と呼ばれた千住青物市場の守護神である。
・戦災のため創建の詳細は不明だが、境内の碑などから、1576年頃には創建されていたと考えられる
狛犬が立派です。通る人がみんな感嘆の声をあげるほどです。
看板にはこんなことが書いてありました。
・当神社の狛犬は区内最大。
・自然石を積み上げた上に鎮座させている。
・何でも大きいのが好きな「やっちゃ場」の旦那衆が造り上げたものである
この天水槽も立派!看板には、1850年にできた水槽であることと、千住で熱心に行われていた成田講にまつわるのものであることが書かれていました。
福禄寿はハッピーな笑顔でした。お参りして、御朱印いただきました。
稲荷神社~氷川神社
次の氷川神社までは400mほど。
日光街道と墨堤通りの交差店には、坂本竜馬由来の看板がありました。
坂本竜馬は入門した千葉道場の娘、千葉佐那と恋仲になりました。竜馬の没後に、千葉佐那がこの地で灸治院を開いていたそうです。思いがけない、坂本竜馬ゆかりの地でした。
墨堤通りの先には、JRの線路。
足立市場も近いようですが、今日は先を急ぎます。
JRの線路が見えてきました。七福神めぐりののぼりを左折します。
氷川神社に到着しました。
氷川神社の本殿には、参拝の行列ができていました。10分ほど並びました。
元和2年(1616)に創建された神社です。
弁天像供養庚申塔です。1689年に造立され、境内の島に祀られていましたが、池を壊すにあたり現在地に移されましたそうです。足立区登録有形民俗文化財。
御朱印をいただく社務所にも、数人の行列ができていました。私のような順番で回った場合、氷川神社が最後なので、御朱印をいただき、日付を入れてもらいます。若い受付の方が、奥に私の色紙を運んで、待つこと数十秒。御朱印がそろって、日付のはいった色紙ができてきました。
千寿七福神の色紙は、大型なので見ごたえあります。
北千住駅近くの、ややディープな飲食店街を通り、駅へと戻りました。
千寿七福神めぐり まとめ
日光街道の宿場としてにぎわった千住。
宿場町らしい町並みや、各神社でのおもてなしや特色がある七福神めぐりでした。明治時代末に荒川を人工的に作ったことの痕跡が残っていたり、足立市場の近くの神社では狛犬が大きかったり、大門通の和菓子店がおいしかったり。行ってみてわかることがありました。歩く距離は5~6キロありますが、それを感じさせない楽しさでした。
比較的混雑するのは、氷川神社・仲町と千住本氷川神社です。私が七福神めぐりをした1月4日(土)は、比較的混雑が落ち着いていて、御朱印のスタンプは長くて10分待ち程度。快晴の中、快適に回ることができました。
千寿七福神めぐり、おすすめです!